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マルチナ・カーンスタインのレビュー(ネタバレあり) — 遺作

マルチナ・カーンスタイン
マルチナ・カーンスタイン
500年生きた吸血鬼
8.2/10
8.2 / 10

用務員の伊頭遺作という一人の男が、後に続く一つのジャンルを丸ごと産み落とした。31年経って、その産声はまだ消えておらん。

1995年8月、elfから出た監禁ホラー脱出アドベンチャーじゃ。プレイしたのはPC-98版。恋愛アドベンチャーが業界の主流じゃった頃に、桜蘭学園の旧校舎に9人を閉じ込め、用務員の伊頭遺作がヒロインを一人ずつ連れ去って凌辱する映像を、主人公・小暮健太がビデオ越しに目撃する。ここで踏み込んでいくのは、伊頭遺作という悪役の造形、謎解きを解くほどHシーンが減るという逆説の意味、時計台で明かされる妹殺しの真相、そして後の臭作・鬼作へと繋がる血統じゃ。当時わしがこれに痺れた理由と、31年後に再びディスクを回して残ったもの、その両方を見ていくとしよう。

スコア詳細

歴史的意義 10
作品の尖り・唯一無二性 9
設定の独自性 8
テーマ・メッセージ性 8
世界の奥行き 7
エンディングの満足度 7

1995年、恋愛ものの隣にこんな化け物が出た——「遺作」という名のせいでelf倒産説まで流れた

まずは、この一本がどんな器の作品だったかからじゃ。

1995年8月、elf——同級生シリーズで業界の頂点に立っておったブランドじゃ——が出した一本じゃ。シナリオは蛭田昌人、原画は横田守。横田はこの作品を最後にelfの仕事から退いた。タイトルの「遺作」は、社屋を移す前の最後の作品という意味で付けられたものじゃが、雑誌広告に「遺作」の二文字だけが大書きされた時、「elfが倒産・解散したのではないか」という憶測が業界に流れた。死者の残した作品という字面が、まさかの誤解を呼んだのじゃな。当時のわしも、あの広告を見て一瞬手が止まった口じゃ。

中身は、当時の主流からはっきり外れておった。1995年といえば恋愛アドベンチャー全盛で、elf自身も同級生で「女の子と仲良くなる」遊びを業界に広めた張本人じゃ。ところがこの遺作は、舞台が桜蘭学園の旧校舎、昭和初期の木造5階建て。登校日の夕方5時、差出人不明の手紙で集められた9人——主人公・小暮健太、親友の島田陣八、ヒロインの少女たちと担任の高島先生——が音楽室に閉じ込められる。窓には外から板が打ちつけられ、扉には鍵。鳴るはずのないチャイムが鳴って、館の主のように徘徊する何者かの気配が始まる。恋愛ではなく、監禁と脱出と恐怖じゃ。

システムも当時としては尖っておった。校舎を5階から1階へ降りていく一方通行の探索。錆びた鍵や機械油や形状記憶合金の仕掛けを解いて、階を一つずつ開ける。ウィザードリィ風の主観視点で校舎を歩き、ポイント&クリックで部屋を調べる「考えて解く」アドベンチャーじゃ。蛭田昌人という男は、マルチシナリオをいち早く業界に持ち込み、3Dダンジョンとアドベンチャーを混ぜるような実験を繰り返してきた書き手でな。その実験癖が、この監禁ホラーという形で結実した。当時の評価はErogameScapeのスコアを見れば一目瞭然じゃが——わしが値踏みしたいのは数字ではない。この一本が業界に何を残したか、じゃ。以下、その話をしていくとしよう。

【当時の記憶】1995年、「敵がタイトルになっている」というだけで尋常でなかった

まず1995年当時、何が衝撃だったかからじゃ。

一番面食らったのは、タイトルになっている「遺作」が、主人公ではなく敵だったことじゃ。プレイヤーが動かすのは小暮健太という高校生で、伊頭遺作はその健太たちを閉じ込める用務員——つまり倒すべき相手の名前が、箱のおもてに大書きされておった。当時、これは尋常ではなかった。恋愛アドベンチャーなら攻略するヒロインの名前か、せいぜい主人公の名がタイトルになる。それを「最も気色の悪い加害者の名」で押し通した。これだけで、この作品が普通の売り方をする気がないと分かった。

そして伊頭遺作という男の造形じゃ。白髪混じりで、日焼けして赤くひび割れた耳、首には潮臭いタオル、何年も洗っていないジャージにサンダル履き。あばらの浮いた胸の下を、地の文は「どす黒い欲望」と呼ぶ。こいつは怪物でも超常の存在でもない。20年前まで小学校の教師をしていて、問題を起こしてクビになり、用務員に落ちた——どこの学校にもいそうな、薄汚れた中年の男じゃ。1995年に、わしがこのキャラに痺れたのはそこじゃった。化け物が出てくる恐怖ではない。人間が、人間のままで、これほど気色の悪い恐怖になれるのか、という驚きじゃ。

動機も書き込まれておった。遺作は「いつも自分が被害者だ」という被害妄想と歪んだプライドで動く。女子生徒に侮蔑されたことへの私怨と性欲。そして自分の犯行を誰かに見せたくて仕方がない、という露出狂的な執着がある。だから凌辱の全てを8ミリビデオに録画して残す。視聴覚室のデッキでそれを再生すると、映像の中の遺作が「このビデオを、健太のガキが見てるんだよ」と、画面のこちら側の主人公を名指しで挑発してくる。録画された過去の映像が、今これを見ている者に喋りかけてくる。この仕掛けに、当時のわしは背筋が寒くなった。1995年に、ここまで「見ること」そのものを気持ち悪くしてくる作品はなかった。

もう一つ、当時の業界の文脈で言っておく。これは「鬼畜系」と後に呼ばれるジャンルの、ほぼ起点じゃ。同じ1995年には他社の伝奇ホラーもあったが、用務員という地続きの日常から恐怖を立ち上げ、しかもそれを18禁の凌辱と組み合わせた作品は、当時ほとんど前例がなかった。後の臭作・鬼作へ続く伊頭家シリーズの一作目であり、その後の鬼畜系エロゲ全体の母型がここにある。当時のわしは「これは一つの型になるぞ」と感じた。その勘は、後の30年が正しかったと証明してくれた。

【再プレイして】謎を解くほどHシーンが減る——この逆説がこの作品の背骨じゃ

31年ぶりに通しでやり直した。一番見直したのはここじゃ。

この作品の構造には、当時から語り草になっている逆説がある。校舎を探索し、鍵を解き、謎を解くほど、ヒロインを遺作から救える。じゃが守れたヒロインの凌辱ビデオは見られない。逆に、謎を解けずヒロインを救えなかった時にだけ、視聴覚室のデッキにその子の陵辱テープが残されて再生できる。つまり——Hシーンを見たければ、ヒロインを見殺しにせねばならん。18禁作品でありながら、エロを見ようとするプレイヤーの欲望を、そのまま「仲間を救えなかった罪」に変換してくる。

当時のわしは、これを「よく出来た意地悪な仕掛け」くらいに思っておった。31年経って再プレイして、評価が変わった。これは意地悪ではない。作品全体のテーマそのものじゃった。冒頭に置かれた一文を思い出してほしい。「誰も定められた運命から逃れる事はできない。そう、たとえ扉の向こう側に不幸が待ち伏せしてたとしても、あなたは操られた人形のようにその扉を開けてしまう」。この「扉を開けてしまう」のは、作中の健太であると同時に、コントローラーを握って先を見たがるプレイヤー自身じゃ。エロが見たくて選択肢を選ぶ手と、不幸な扉を開けてしまう健太の手が、ここで重なる。プレイヤーを物語の共犯者の位置に立たせておる。

これは強い。31年生きてきた目から見ても、なお強い。多くのエロゲは、Hシーンを「ご褒美」として配る。謎を解いたから、好感度を上げたから、その報酬として与える。遺作はそれを反転させた。ご褒美ではなく罰として、しかも「お前がそれを望んだから見せてやる」という形で突きつける。エロと物語が、相乗どころか正面衝突して火花を散らしておる。後に批評家が「反ポルノ的な批評性を持つ」と論じたのも、わしには分かる。エロゲという媒体が自分のエロを自分で問い直した、稀な一本じゃ。1995年にここまでやったのは、強みと言うほかない。

もう一つ再プレイで効いたのは、Hシーンの描き方そのものじゃ。この作品は性交を逐語で延々書かない。拘束された姿の発見、ビデオに残った断片的なセリフ、そして事が終わった後の被害者の放心——その三つで凌辱を示唆する間接話法が中心じゃ。理科実験室で机に縛られた高島先生が「健太君、お願いだからこっちに来ないで!」と必死に制止する場面。あるいは時計台で裸のまま拘束された久美先生や琴未が、放心して「家に……帰りたい」とうわ言のように繰り返す場面。直接何をされたかは映さずとも、この「事後の壊れ方」だけで、何が起きたかが全部分かる。当時の業界水準で言えば、この抑制は相当に文章力が要る書き方じゃ。蛭田昌人の腕が見える。

【再プレイして・続】陣八の告白と時計台の真相——犯人探しが一本の線になっておる

物語の骨格を改めて辿ってみよう。ここが探索パートの下を流れる芯じゃ。

この作品は監禁ホラーであると同時に、推理ものの顔も持っておる。その推理を担うのが榊美由紀じゃ。冷たく潔癖で男性不信の才女でな、男に対しては常に腕で胸を隠すような少女じゃが、観察眼と推理力は鋭い。彼女は早い段階で「いかに私達を困らせるか考えてる人が、そう簡単にここから出してくれるはずがない」と遺作の目的を看破し、やがて核心に踏み込む。音楽室は最初から施錠されてはいなかった、最後に入った陣八がチャイムを合図に扉を開け、遺作が後から閉めた——「いいえ、鍵を開けたのが陣八君よ」。健太の3年来の親友・島田陣八こそ、遺作の協力者じゃった。

問い詰められた陣八は号泣しながら全てを吐く。新聞部部長でゴシップ好きの陣八は、理事長室に盗聴器を仕掛けて理事長の使い込みを掴んだところを、同じく盗聴をしていた遺作に押さえられた。退学と逮捕をネタに脅され、女子の盗撮や手紙配りや運搬の手駒にされていた。さらに1年前——遺作に命じられて自分の恋人(=美由紀の妹)を呼び出し、抵抗されてもみ合った末に彼女が頭を打って気絶した。遺作に「死んだ」と思い込まされ、以来「殺人犯」として人質に取られ続けていた。この罪悪感と恐怖の二重の鎖が、お茶目で軽口を叩く親友の裏に、ずっと隠れておったわけじゃ。再プレイすると、序盤で陣八が妙に皆を旧校舎へ誘い続ける軽さが、全部この恐怖の裏返しだったと分かる。芯が通っておる。

時計台がこの作品の到達点じゃ。陣八から真鍮の鍵を受け取った健太は、3階の小さな扉から垂直のハシゴを登り、最上部の時計台へ至る。そこには捕らえられた仲間が全員、裸で柱に拘束されておった。美由紀が「健太君、こんな事が許されていいの?」と漏らす、あの場面じゃ。そして遺作が最大の真相を吐く。「あんたの脅迫状に書かれていた通り、妹を殺したのは俺さ」。妹を実際に殺したのは陣八ではなく遺作自身じゃった。陣八は気絶しただけの彼女を死なせたと信じ込まされていただけで、本当の殺人犯は最初から遺作。1年前の未解決事件と、今この監禁が、一本の線で繋がる。犯人探しの構造として、これはよく出来ておる。

そして遺作の最終計画じゃ。保健室のベッドにガソリンを撒いて校舎ごと放火し、「生徒が肝試しをしていてロウソクの火がカーテンに燃え移った」という失火に偽装して全員を焼き殺す。共犯の陣八ごと、じゃ。使い潰した手駒も一緒に焼く。そして自分だけ脱出し、高島先生は首吊り自殺に偽装して連れ去る。こいつがこれまでクビにならずに済んだのは、理事長の不正を握っていたからじゃった。「俺が捕まれば、理事長もおしまいだからねぇ」。組織の腐敗の上に、一人の性犯罪者が居座り続けていた——この社会の薄汚れた縦の構造まで描いておるのが、当時の同種ジャンルから一歩抜けておった点じゃ。

脇の人物たち——里香の罪と、宗光の使われ方

主役級でない人物の処理にも触れておこう。ここに当時の腕と、当時の限界の両方が出る。

事件の発端を作ったのは、メガネをかけた幼い容貌の少女・赤川里香じゃ。健太に一途な好意を寄せる泣き虫の子でな。この子が、美由紀に馬鹿にされた腹いせという幼い嫉妬から、榊美由紀の名前を騙って遺作に手紙を出してしまった。「榊さんの名前で手紙を出せば、きっと遺作さんは榊さんにひどい事を」——その軽い悪意が、遺作という獣の檻の鍵を開けてしまった。だが脱出後、当の美由紀は「赤川さんに罪はない」と里香を庇う。冒頭の「操られた人形のように扉を開けてしまう」というテーマが、里香という一人の少女の上でも反復されておる。彼女もまた、軽い気持ちで開けてはならぬ扉を開けてしまった人形の一人じゃった。この主題の畳みかけは巧い。

理事長の息子・蘇我宗光の使われ方も、再プレイで改めて感心した。一人だけ白い制服を着て「ふん」「庶民」と見下す傲慢な御曹司でな。男じゃから遺作の凌辱対象にはならず、放送室でロープと猿ぐつわで拘束されているのを健太が救出する——ここはむしろコミカルですらある。じゃが遺作はこの宗光を、ビデオの中で別の形で使う。操って自慰を強要し、高島先生との強制性交の実行役にさせる。傲慢な御曹司を、加害の道具にまで貶める。脱出後、宗光は「蘇我家始まって以来の恥辱」と精神を崩し、後日談では父=理事長が犯罪者となって退学する。権力の側にいた者が、最も惨めに転がり落ちる。この容赦のなさが、この作品の手触りじゃ。

ただ正直に書けば、ヒロインたちの内面の描き込みは薄い。男勝りで義侠心の強い芹沢美緒、テニス好きで気の強い幹原明美、清楚な浅川琴未——それぞれ役割と一言の個性は与えられておるが、伊頭遺作という悪役の書き込みに比べると、明らかに格差がある。彼女たちは「遺作に攫われるかどうか」という緊張の駒として置かれていて、一人ひとりの人生の奥行きまでは掘られておらん。当時から「メインヒロインの個別描写が薄い」という指摘はあって、再プレイしてもそこは変わらなかった。悪役一点に光を集めた代償じゃ。これは後で総合点に反映する。

【時間の審判】31年経って、なお有効か——逆説は今も切れ味を保っておる

時を経ても効くか。判決を下すとしよう。

結論から言えば、この作品の核は今も切れ味を保っておる。先に書いた「謎を解くほどHが減る」というエロと罪の反転構造は、31年経った今でも、これを真似た作品をほとんど見ない。後の鬼畜系エロゲは数えきれぬほど出たが、その多くは「凌辱のシチュエーション」を増やす方向に進んだ。遺作のように「プレイヤーの欲望そのものを罰として突き返す」というメタな仕掛けを、これほど作品の構造の中心に据えたものは稀じゃ。だから今プレイしても、ただの古い陵辱ものには感じない。考えて解くアドベンチャーとしての面白さも、現在の評者が「発売から25年経ってもオンリーワンのゲーム性」と言うだけのことはある。類似作が出にくい、というのが何よりの証拠じゃ。代替が利かんのじゃな。

伊頭遺作という悪役も、時間に削られておらん。むしろ31年経ったいま見ると、こいつの怖さの種類がはっきり分かる。怪物の恐怖は時代の流行で古びるが、人間の恐怖は古びない。組織の腐敗に守られた性犯罪者が、被害者面をしながら淡々と犯行を記録する——この種の薄ら寒さは、残念ながら今の世にもそのまま通じる。「とてもじゃないがこんなキャラは書けない」と後の評者が言うのも分かる。当時の業界が、よくぞこの一人の男にここまでの厚みを与えたものじゃ。

では何が古びたか。三つある。一つ目は、いま書いたヒロインの薄さじゃ。悪役の濃さの裏返しで、被害者側の人間の奥行きが足りん。今の目で見ると、もう少し一人ひとりに人生を持たせてよかった。二つ目はボリュームじゃ。Win版のプレイ時間中央値で11時間ほど。当時としても、この密度の物語にしては短めで、31年経って振り返ると「もう一段、校舎の闇を掘れたのではないか」と思う。三つ目は攻略の理不尽さじゃ。鍵やアイテムの収集と扉の解錠順を解くパズルは「考えて解く」面白さの源泉じゃが、同時に詰まりやすく、当時はマニュアルプロテクトの暗号表まで攻略に要った。今の目で見ると、ここは親切さに欠ける。ゲーム性の長所と、不親切さは、表裏一体じゃった。

それでも、わしの判決は揺るがん。古びた部分は枝葉で、核は残った。31年前にわしが痺れた「人間が人間のまま恐怖になる」造形と、「お前の欲望を罰として返す」逆説は、今もまだ生きておる。時間に削られなかった。それが何より大事じゃ。

【業界史の中で】遺作→臭作→鬼作——一つのジャンルの祖として

この一本が業界史のどこに立っておるか、じゃ。

遺作は、伊頭家シリーズ——遺作(1995)→臭作(1998)→鬼作(2001)——の第一作じゃ。この三本が、後に「鬼畜系」と呼ばれるジャンルの背骨を作った。命名の法則からして念が入っておる。遺・臭・鬼。三兄弟のように名を連ねて、それぞれが違う方向の狂気を担う。じゃが全ての出発点が、この遺作にある。わしは業界の生き証人として言うが、一本の作品が後に続くジャンルを丸ごと産み落とす場面というのは、500年生きていてもそう何度も見るものではない。これはその稀な一例じゃ。

面白いのは、この三兄弟が同じ型の反復ではない、という点じゃ。遺作は「敵がタイトル」で、プレイヤーが操る主人公・健太は加害者ではなく、脱出を図る善玉の側じゃ。プレイヤーは恐怖から逃げる立場に置かれる。ところが後の臭作・鬼作では、プレイヤーが操る側がヴィランのポジションへ移っていく。つまり遺作で「悪を外から見て震える」体験を作り、続編で「悪の内側に入る」体験へと反転させた。シリーズ全体が、遺作で確立した「見ることの気持ち悪さ」を、別の角度から掘り下げ続けた格好じゃ。最初にプレイヤーを共犯者の位置に立たせたのが遺作で、その後の作品はその共犯性を露骨にしていった。源流がここにある。

もう一つ、業界史として記しておく。この作品は、エロゲ原作のメディア展開の走りの一つでもあった。1997年にはアームズ制作・ピンクパイナップル発売でOVA化され、ケイエスエスから小説も出た。後にRespect、CoreMIXとOVAのシリーズが重ねられ、伊頭家三兄弟をまとめたBOXまで作られた。一本のゲームから生まれた悪役が、ゲームの外側にまで歩き出して文化的な存在になっていった。タイトルの「遺作」という言葉の重さも、いまや別の意味を帯びておる。原画の横田守がこれを最後にelfを去ったために、文字通り横田にとってのelfでの遺作になった、と語られるのじゃな。社屋移転前の最後の作品、という当初の意味に、作り手の節目という意味まで重なった。こういう因縁を背負った作品は、長く生きていても珍しい。

elfというブランド自体は、2000年代後半に経営が傾き、2016年に公式サイトを閉じて実質消えた。同級生で業界の頂点に立ち、「東のエルフ、西のアリス」と謳われたブランドの黄金期の只中に、この異物のような一本があった。恋愛ものの王者が、自らの隣にこんな暗い化け物を平然と並べてみせた——その懐の深さも含めて、業界史に確かな足跡を残しておる。

結末の評価——焼死と放火、その先にだけ置かれた小さな救い

エンディングは時を超えているか。ここは少し評価が割れる。

この作品の結末は多重に枝分かれする。脱出に失敗すれば、給食室や校舎が火の海になり、炎の中に倒れる仲間を見つめるしかない焼死バッドに落ちる。時計台で単独行動して捕縛されれば、薬を嗅がされ、あるいはナイフの柄で殴られて気絶し、柱に裸で縛られて「最後のお楽しみ」へと続く。バッドの圧が強い作品で、生半可な手つきでは救いに辿り着けん。この「逃れがたさ」自体は、冒頭のテーマ詩と一致しておって筋が通っておる。

生還ルートでは、美由紀の機転で遺作を扉際まで後退させ、隙を見て脱出に成功する。遺作は校舎内で足を滑らせて転落し、首が折れ曲がった変死体となって死ぬ。脱出後、里香が手紙の件を告白し、美由紀がそれを庇い、健太は仲間の名誉を守るために陵辱の証拠ビデオを警察に渡さず焼却する。「悪いけど、これだけは美由紀の言う通りにできない」——証拠より仲間の尊厳を選ぶこの一手は、楽天的なだけに見えた健太の芯が出る場面で、悪くない。そして陣八は自首を決意する。

その先に、ようやく小さな救いの個別エンドが二つだけ置かれる。半年後、清楚な琴未が初めて作った手作り弁当を健太に渡す相思相愛の結末。そして、あれほど男性不信だった美由紀が健太と遊園地でキスを交わし「私を絶対に離さないって約束して」と言う結末。「健太君は違うわ。男の人なんて、みんな変な事しか考えてないと思っていたから」——妹を奪われ、男という存在を信じられなくなった少女が、ようやく一人だけ信じられる相手を見つける。この二つだけが、あの地獄のような校舎の先に許された光じゃ。少ない。少ないが、だからこそ重い。

ただ、後日談のビターエンドが見せる景色も忘れがたい。生還した後、2学期になると高島先生も里香も明美も次々に学園を去り、健太と美由紀だけが残る。そして健太の机に、また差出人不明の手紙が置かれる。「あなたは開けられた扉を閉め、再び平穏無事な世界へと戻る。しかし心に刻み込まれた記憶は、永遠に消え去る事はない」。扉は閉じても、また別の扉が開く。この円環の余韻が、結末をただのハッピーエンドにさせない。救いと喪失を両方きちんと置いた、誠実な終わらせ方じゃ。恋愛成就の二本がやや唐突に明るいのが惜しいが、後日談の苦さがそれを引き締めておる。

8.2——一つのジャンルを産んだ。時に削られなかった核がある

最後に判決を下すとしよう。

残ったものは多い。伊頭遺作という、人間のまま恐怖になりきった一人の男。謎を解くほどエロが遠ざかる、欲望を罰として返す逆説の構造。冒頭の「操られた人形のように扉を開けてしまう」というテーマが、健太・里香・そしてプレイヤーの上で何度も反復される畳みかけ。間接話法で凌辱を示唆する抑制の利いた文章。これらは31年経って削れておらん。500年生きておると、これだけのものが時間に耐えて残る一本は、そう多くは見ん。骨があるのう。

削れた部分もある。悪役に光を集めた代償としてのヒロインの薄さ、もう一段欲しかったボリューム、ゲーム性の長所と裏表の攻略の不親切さ。これらは1995年という時代の制約と、悪役一点突破という判断の綻びじゃ。当時はこれで十分じゃった、で済ませてもよいが、今の目で正直に見れば、被害者側の人間にもう少し奥行きがあれば、この作品はさらに上へ行けた。

業界史の中での位置付けは動かん。鬼畜系という一つのジャンルの祖。伊頭家シリーズ三兄弟の出発点。プレイヤーを共犯者の位置に立たせる、後の鬼畜系全般の母型。エロゲがエロゲ自身のエロを問い直した、稀な批評性を持つ一本。これは残る。後の世が、繰り返しここを参照しに来るじゃろう。現に31年間、そうしてきた。

それが8.2の意味じゃ。9や10に届かなかったのは、悪役の濃さに被害者側が追いついていない描き込みの格差と、当時の尺・親切さの限界による。完璧ではない。じゃが、その不完全さを抱えてなお、この一本は一つのジャンルを丸ごと産み落とし、その産声を31年保ち続けた。歴史を作った作品にふさわしい数字じゃと、わしは判決を下すとしよう。当時これに痺れたのは、嘘ではなかった。