波多野瑠璃のレビュー — 加奈〜いもうと〜

波多野瑠璃
波多野瑠璃
文学的闇追求型レビュワー
7.5/10
7.5 / 10

軽薄ではあるけど、この闇は本物だ。

1999年、D.O.から出た「泣きゲー」史の起点に位置する作品だ。シナリオは田中ロミオ(当時は山田一名義)。慢性腎疾患で入退院を繰り返す妹・加奈と、その兄である主人公・隆道の数年間を描く。題材は「妹の余命」という、扱い方を一歩誤れば即座に安っぽく堕ちる地雷原だよ。にも関わらず、この作品は「泣かせる」ことより「死を見つめる」ことに踏み込んでいる場面が確かにある。7.5という数字は、そういう意味で付けた。軽薄ではあるけど、闇の方向に踏み込もうとはしている。

スコア詳細

テーマ・メッセージ性 8.0
世界の奥行き 7.0
雰囲気・没入感 8.0
ヒロインの魅力 8.0
シナリオ構成 7.0
エンディングの満足度 7.0

この作品が立っている位置

1999年。「泣きゲー」という語がまだ定着しきっていなかった時代の作品だ。

主人公・藤堂隆道は大学1年。妹の加奈慢性糸球体腎炎を抱えていて、幼少期から入院と退院を繰り返している。物語は、退院してきた加奈隆道の日常から始まる。学校に通えない時期の補習、薬の管理、定期検査、悪化したときの再入院。それらが日々の中に淡々と置かれていく。劇的な事件で始まる作品ではない。最初の30分はむしろ平凡な兄妹の生活劇に見える。

でもその平凡さこそが、この作品の選んだ立ち位置だ。「病気の妹」を泣きの装置として消費するのではなく、病気と共に生きる日常そのものを延々と書く——その方向性は、軽薄ではないと僕は思う。当時のエロゲーが選びにくかった距離感に、この作品は静かに立っている。

加奈という存在の深さ

この作品で僕が一番反応したのは、加奈の内面の作り方だ。

長期入院の子供が病室で何をしているか。この作品の加奈は哲学書を読んでいる。聖書を引用する場面もある。日記を書き続けている。これは「健気な妹」という記号の外側にある描写だ。死に近い場所にいる人間が、自分の頭で死と生のことを考えようとしている——そういう輪郭が、彼女のセリフの端々に滲んでいる。

「生きたい」と言い続ける。同時に「もしわたしが死んだら、雪を降らせてみようかな」とも言う。この二つの言葉が同居している人間を、ちゃんと書こうとしている。生に執着しながら、死を視野に入れて言葉を選んでいる。子供のヒロインに、ここまで思考の質感を与えようとしている作品は、当時としては珍しい。深みが足りないと言いかけたが、加奈のこの輪郭に関しては——悪くはないかな。

「死を見つめる」というテーマの扱い方

テーマの純度で言えば、この作品はかなり頑張っている。

余命のある妹を扱うとき、もっとも安易な逃げ方は「奇跡」だ。寛解、誤診、新薬。そういう方向に物語を運べば、読者は楽になる。書き手も楽になる。この作品にはその誘惑がないわけではない。実際、ルート分岐の中には、より明るい方向に物語を運ぶ選択肢も存在する。それでも作品全体の中心軸として置かれているのは、「いつか別れがあるかもしれない事実を、それでも一緒に生きる」という姿勢だ。

「今日、海を見た。もう恐くない。」——加奈の日記からの一文だ。恐くない、と言い切れるようになるまでに何があったのか。短い一行に、彼女の数年が圧縮されている。こういう書き方ができる作品を、僕は軽薄とは呼ばない。死を扱う作品の誠実さは、こうした地味な一行に出る。涙腺を狙う派手なシーンではなく、加奈が自分の言葉で死と折り合いをつけていく描写の積み重ね——そこにこの作品の本気がある。

もちろん、誘導が露骨な場面がないわけではない。泣かせるために配置されたとしか思えない展開もある。そこは正直に減点した。ただ、それを差し引いても、テーマの中心は逃げていない。

兄妹という距離が孕む闇

この作品にはもう一つの闇がある。兄妹間の感情の質だ。

幼少期から病室と家を往復する生活をしてきた兄妹だ。隆道にとって加奈は守るべき妹であり、同時に、自分の世界の中心でもあった。その距離感は、健康な兄妹のそれとは違う。物語が進むにつれて、隆道加奈に対して、家族としての感情の範疇に収まらないものを抱いていく。それをこの作品は隠さない。罪悪感と共に書く。

禁忌の感情を持ち出してきたから偉い、という話ではない。重要なのは、その感情を「悪趣味」として消費するのではなく、長く病んできた妹のそばに居続けた兄の必然として書こうとしている点だ。健康な人間関係の輪郭を持てなかった少年が、唯一近くにあった存在に何を見たか——そこに踏み込んでいる。きれいごとでは閉じない。この覚悟は、闇として読める。

もちろん、そこを誰でも楽しめる形には書けない。読者を選ぶ作品だ。でも闇に踏み込んだことそのものは、僕の評価軸では加点要素だよ。

病室と日常の空気が持つ重さ

没入感は派手な演出ではなく、生活の細部から作られている。

消灯時間の病室。面会終了の放送。検査結果を待つ廊下のベンチ。退院のたびに少し痩せた加奈の顔。この作品の雰囲気を作っているのは、こうした日常の質感の積み重ねだ。劇的な場面ではない場所ほど、テキストが丁寧になっている。これは演出ではなく、構造として効いている。

季節が変わるたびに病状の波があり、退院と入院を繰り返す。同じ場所に何度も戻ってくるから、読者は病院という空間に少しずつ慣れていく。慣れたところで、加奈が何かを言う。慣れた空間で発される言葉は、慣れていない空間でのそれより重い。この作品はそれを理解して書いている。

没入感は、テキストの密度が作るんだよ。派手な仕掛けではない。この作品はそれを地道にやっている。

ヒロインの魅力——加奈と夕美

ヒロインに対する僕の評価軸は単純だ。深さがあるか、それだけだ。

加奈は前述の通り、哲学書と日記とで自分の死を考え続けている少女だ。健気な妹アイコンとして消費される可能性のあった役柄に、思考の質感が与えられている。「愛しています」という一言を、子供っぽい甘えではなく、自分が言葉として選び取った宣言として置く瞬間がある。その重みは、彼女が普段から言葉を考えて生きているからこそ成立する。安いヒロインではない。

もう一人、幼なじみの鹿島夕美がいる。青心女子大に通う一見明るい女子大生だが、立ち位置はかなり複雑だ。隆道に好意を寄せながら、同時に加奈の病状を真剣に心配している。その同居が彼女の中で破綻していないところに、書き手の腕を感じる。隆道加奈の関係を外から見ている人物として、夕美の存在は欠かせない。彼女がいることで、兄妹の閉じた世界に外の空気が通る。深みが足りないと言いかけたが、夕美の機能性に関しては——悪くはないかな。

惜しい点——主人公と構成の甘さ

弱点は正直なところを。これがあって7.5に留まった。

第一に主人公・隆道の輪郭がやや薄い。普通の大学生として書かれている。妹に対する感情の質は確かに踏み込んでいるが、隆道自身が世界に対して持っている視点が浅い。加奈の方が物事を考えている、と読めてしまう場面が多い。共感されやすい主人公にする意図はわかるが、加奈の深さに釣り合うだけの内面が彼に欲しかった。ここは深みが足りないと言うしかない。

第二に、シーン単位で泣きを誘導している場面が散見される。BGMで殴る代わりに台詞で殴っている、と言えばいいか。「ここで泣いてほしい」という意図が透けて見える箇所がある。テーマの中心は逃げていないだけに、その誘導の手つきが惜しい。もう少し信頼してほしかった、と思う場面はいくつもある。

第三に、エンディングの満足度には個別ルートでムラがある。中心軸に近いエンディングは強いが、周辺ルートには物足りなさが残る。総体としての完成度ではなく、瞬間の鋭さで勝負している作品だと言ってもいい。それも一つの形ではあるけど、構成として満点には届かない。

7.5——闇の方向に踏み込もうとした作品

「闇があるか」という軸で評価した。

余命の妹という地雷原に踏み込みながら、奇跡で逃げず、感情の禁忌からも逃げず、加奈という少女に自分で死を考える言葉を与えた。これだけ揃って「闇が本物ではない」とは言えない。主人公の薄さと泣き誘導の手癖が全体平均を引き下げているが、それでも7.5だよ。まぁ、この作品が「泣きゲー」の起点として語られ続けていることくらいは、僕も認めてもいい。

「今日、海を見た。もう恐くない。」

— 加奈(日記より)

この「海を見た」の一行が好きな人間には、EDの「あなたへ」を一度テキストとして読んでみてほしい。「ほら今 私 生きてる」。「生きたい」と言い続けた人間が、「生きてる」と現在形で言えるようになる。この一行のために、あの作品は何百ページ分のテキストを積み重ねたんだと思う。改めて、軽薄ではないとしか言えない。圧縮の方法論として、「今日、海を見た」とこの一行は同じ系譜にある。

この一行が何を経て書かれたのか。読み終えた人にだけ届く重さがある。加奈という少女の到達点、隆道との数年が何を残したのか——その先はクリア後のレビューで。読んで欲しい。