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柊美香のレビュー(ネタバレあり) — Kanon

柊美香
柊美香
覚悟の番人
6.4/10
6.4 / 10

真琴を消したことだけは、認めますわ。ですが病を奇跡で消したのは、逃げでございましょう。

「奇跡」という一語を掲げた作品でございますわね。わたくしが問いましたのは一点、その奇跡が覚悟の帰結なのか、それとも積み上げてきた喪失を最後にひっくり返す逃げ道なのか、でございますの。答えはルートによって割れましたわ。沢渡真琴ルートは逃げませんでした。月宮あゆ美坂栞のルートは、逃げましたわ。同じ装置を、片方は覚悟に、片方は忖度に使っておりますの。その差を順に申し上げますわ。

スコア詳細

主人公の造形 6
エンディング満足度 6
設定の整合性 6
テーマ・メッセージ性 6
Hシーンの質 6
文章力・描写力 7

なぜ手に取ったか——奇跡を掲げた作品の覚悟を測りに

先に申し上げておきますわ。これはわたくしの得意な畑ではございませんの。

1999年、KanonはKeyが発売した恋愛アドベンチャーでございます。雪の街に7年ぶりに戻った相沢祐一が、五人の少女それぞれの秘密に触れ、その秘密が「奇跡」によって癒されていく。そういう構造でございますわね。わたくしが読むのは鬼畜やダークが多うございますから、泣きを掲げた作品を採点するのは慣れておりませんの。それは正直に申し上げておきますわ。

それでも、わたくしの物差しはジャンルで変わりませんの。「この作者は、自分の書いた物語を最後まで信じていたか」。この一点だけでございます。そして「奇跡」を掲げる作品ほど、この物差しは残酷に働きますわ。奇跡というのは、書き手にとって最も甘い逃げ道になり得るからでございますの。積み上げた喪失を、最後の一手でなかったことにできてしまう。だから問いましたわ。この作品の奇跡は、覚悟の果ての奇跡か、それとも逃げるための奇跡か。

結論から申しますと、両方が同居しておりましたの。だから6.4でございます。逃げた奇跡と、逃げなかった一本が、同じ箱に入っておりますわ。

沢渡真琴ルート——ここには覚悟がございましたわ

先に、認めるところから申し上げますわ。真琴ルートは逃げませんでした。

真琴の正体は、丘に棲んでいた妖狐でございますわね。祐一が与えた人の温もりへの想いが、人の姿を借りて戻ってきた。天野美汐が「あの子が自らの命を引き替えとして手に入れた、わずかな煌めきです」と言い切ったとおり、この奇跡には最初から代償が刻まれておりますの。人として生きるほど、真琴は記憶を失い、箸を落とし、言葉を落としていきますわ。

この設計が誠実でございますのは、奇跡の代償を一度も割り引かなかった点でございますわ。真琴が消えた後の部屋に、折れた割り箸が散らばっておりましたわね。ひとりで箸の練習をして、うまくいかず疳を起こして折る。それを誰にも言わず繰り返していた。あの一場面が、真琴の努力を全部背負っておりますの。「ずっと箸を持つ練習をしていたのだ、あいつは」という祐一の語りに、逃げは一切ございませんわ。人間になろうとして、なりきれなかった存在を、そのまま描き切っておりますの。

そして丘の上でございますわ。言葉を失いかけた真琴に、祐一が「結婚しようか、真琴」と告げる。真琴は漫画の一節を思い出しながら、かろうじて「したい…けっこん」と返しますの。最も重い言葉を、もう言葉を持たない相手に投げる。この非対称に、作者は救済を差し込みませんでしたわ。真琴は消えます。麻枝が書いたこのルートは、消滅を消滅のまま置いた。春にぴろが戻り、丘を子狐が走る。生まれ変わりの示唆はございますけれど、それを明言して救いに変換することはしておりませんの。示唆に留めた抑制こそが、覚悟でございますわ。ここは、お見事と申し上げますわ。

あゆルートと栞ルート——奇跡が救済の逃げに使われましたわね

真琴で示した覚悟を、同じ作品が別のルートで手放しておりますの。それが惜しゅうございますわ。

あゆは7年前に木から落ち、植物状態のまま眠り続けている少女でございますわね。街をさまよう「あゆ」は、その意識が生んだ想念。「探し物、見つかったんだよ…」と寂しそうに言い、「うぐぅ」と詰まりながら祐一の日常に居着く。ここまでは丁寧でございますの。ところが結末では、祐一が喪失を受け入れた瞬間に、病院の本物のあゆが目を覚まします。喪失を受け入れた者だけが取り戻せる、という理屈は分かりますわ。ですが結果として、七年眠った少女が奇跡ひとつで戻ってまいりますの。積み上げた「もう会えない」を、装置ひとつで撤回しておりますわ。

栞ルートはもっと露骨でございますわね。栞は難病で余命を告げられておりますの。姉の香里が「私は妹が嫌いです」と突き放す、あの冷たさは本物でございましたわ。妹を失う日が来るのが怖くて、先に失ったことにしておく。この心理の造形は、久弥が置いた最良の仕事のひとつでございますの。それだけに惜しゅうございますわ。最後に栞が奇跡で回復してしまいますの。あれだけ丁寧に「死」へ向けて積み上げておきながら、その死を医学でも論理でもなく「奇跡」の一語で覆す。これはわたくしの目には、読者への忖度に映りますわ。栞を殺す覚悟がなかった、と申し上げるほかございませんの。

公平に付け加えておきますわ。あゆにも栞にも、奇跡が発動しないバッドエンドが用意されておりますわね。あゆは戻らず、栞は逝き、香里との溝は埋まらない。逃げた結末の隣に、逃げなかった結末を置いてはいるのでございますの。ですが本編が主として差し出すのは救済のほうでございますわ。逃げ道を用意したうえで、そちらを正面に据えた。そこを甘いと申し上げておりますの。

名雪ルートと舞ルート——逃げなかった一本と、甘さの残る一本

残る二本は、評価が分かれますわ。

水瀬名雪ルートは、五本の中で唯一、超常の秘密を持ちませんの。母・秋子が交通事故に遭い、名雪が引きこもって崩れ、祐一に支えられて立ち直る。妖狐も想念も魔物もございません。わたくしはこのルートを、意外にも評価いたしますわ。奇跡という逃げ道を、ここでは一度も使っておりませんの。秋子の回復も、超常ではなく怪我からの快復として描かれておりますわ。「あたしは怒ってない。ただ、悲しいだけ」という名雪の一言で崩れを描き、日常の地続きで立て直す。派手さはございませんけれど、逃げてはいないのでございますの。ルート単体の強度は他に劣りますが、誠実さでは上位でございますわ。

川澄舞ルートは、甘さが残りましたわね。夜の校舎で舞が戦う魔物が、実は舞自身の力の具現だった、という構図は動機として通っておりますの。外敵ではなく自分の影と斬り結んでいた。ここまでは結構でございますわ。ただ、決着が甘うございますの。舞が自らを傷つけようとし、それを止めて力を受け入れ、麦畑で復活のような光景に着地する。自傷という重い一手を出しておきながら、その痛みを麦畑の幻影で溶かしてしまいますの。倉田佐祐理が弟・一弥への自責を「ずっと笑っていればいいと思っていました」と明かす場面は良うございましたわ。それだけに、舞本人の決着が幻想的な回復に流れたのが惜しゅうございますの。

相沢祐一という主人公——動機の主体になりきれておりませんわ

わたくしが最も重く見るのは、主人公の動機が物語を通じて一貫しているかでございますの。祐一については、留保がつきますわ。

祐一の造形そのものは悪くございませんの。口の悪いツッコミ体質で、「絶対に嫌だ」とあゆのクッキーを即答で拒む軽さと、真琴の消滅後に「もっとできることがあったはずだ」と悔いる繊細さを、同じ人物の中に矛盾なく収めておりますわ。人格としては成立しております。

ただ、彼は物語を能動的に動かす主体ではございませんの。各ルートで祐一が担うのは「7年前の記憶を思い出し、ヒロインの秘密の鍵を開ける」という役回りでございますわ。秘密が開けば奇跡が起きる。祐一は奇跡の触媒であって、奇跡を選び取る意志の持ち主ではございませんの。真琴ルートで「人だから与えられるものを今与えてあげたかった」と動いた、あの一瞬だけは主体でございましたわ。ですが多くのルートで、祐一は起きる出来事の受け皿に留まっておりますの。わたくしの物差しでは、ここは高くは付けられませんわ。動機の一貫性以前に、動機の主体性が薄うございますの。

Hシーンと物語の接続——真琴の一場面だけが物語に噛んでおりますわ

Hシーンが物語に機能しているか、それとも独立した添え物か。それを見ますわ。

全ルートを通して、合意の上の穏やかな描写でございますわね。鬼畜はございませんから、わたくしの本来の物差しの半分は使えませんの。描写の精度は1999年の水準で、過激さより感情を優先しておりますわ。文章として粗くはございませんけれど、突出してもおりませんの。

物語との接続で申しますと、差が大きゅうございますわ。真琴ルートのHシーンだけは、削れませんの。祐一が「人だから与えられるものを」と身体の温もりを差し出す。その後、真琴が太股に残ったものを指で掬い、匂いを嗅いで「だって、不思議なんだもん…」と続ける。この無垢な好奇心が、真琴が人でも獣でもない存在だと一息で示しておりますわ。行為そのものが「人の温もりを与える」という真琴ルートの核心に直結しておりますの。ここは相乗効果として認めますわ。

ですが他のルートは、正直に申せば浮いておりますの。あゆのそれは、想念に過ぎない存在との行為だと後で判明する分、読み返すと据わりが悪うございますわ。栞のそれは、余命の重さと身体を重ねる切迫が上滑りしがちでございますの。名雪のそれは、直後に秋子の事故が飛び込む構造の妙こそございますが、シーン単体としては物語に不可欠とまでは申せませんわ。多くのHシーンが「入れねばならぬ事情」の中で置かれておりますの。真琴の一場面を除けば、削っても物語は立ちますわ。

歌詞に滲む姿勢——「どんな想いも叶う日がくる」という一行の重さ

歌詞は、作者の姿勢が一番剝き出しになる場所でございますわ。そこに逃げがあれば、わたくしにはわかりますの。

幕開けの歌には「もう泣かない 泣かない 泣かない」と、三度重ねて泣くまいと言い聞かせる一行がございますわね。この繰り返しには、覚悟の側の手触りがございますの。泣かないと決めるために三度言う。そこには喪失を前提に立とうとする姿勢が滲んでおりますわ。真琴ルートの誠実さは、この一行と地続きでございますの。

ところが幕引きの歌には「世界中にはどんな想いも叶う日がくる」と置かれておりますわ。あら、と思いましたの。どんな想いも叶う。これは奇跡による救済を、作品全体の答えとして正面から肯定する一行でございますわね。真琴を消しておきながら、幕引きでは「どんな想いも叶う」と歌う。作者の中に、消滅を書き切る覚悟と、すべてを叶えたい願いとが同居しておりますの。この同居が、そのまま本編のルート差になって表れておりますわ。歌詞は正直でございますこと。

6.4——逃げた奇跡と、逃げなかった一本

「水準以上。奇跡の使い方に甘さはあるが、真琴の一本には覚悟がある」——それが6.4でございますわ。

整理いたしますわね。真琴ルートは消滅を消滅のまま置いた覚悟の一本。名雪ルートは奇跡に頼らなかった誠実な一本。この二本が、この作品の背骨を支えておりますの。一方であゆと栞のルートは、積み上げた喪失を奇跡で撤回する逃げ。舞ルートは動機こそ通っておりますが決着が甘い。同じ「奇跡」という装置を、覚悟にも忖度にも使い分けてしまった。その振れ幅が、この作品の評点でございますわ。

8に届かない理由は明白でございますの。わたくしが最も重く見るエンディングの誠実さが、ルートによって割れておりますからですわ。真琴で見せた覚悟を、あゆと栞で手放しておりますの。主人公・祐一が奇跡の触媒に留まり、選び取る意志の主体になりきれていない点も、ここに響いておりますわ。日常の積み上げは丁寧で、久弥の香里描写や麻枝の消滅の書き方には認めるべきものがございます。ですが「作者が最後まで物語を信じたか」という問いに、この作品は五回のうち二回、目を逸らしましたの。

6を切らない理由も明白でございますわ。真琴を消したこと。それだけは、逃げなかった。奇跡の甘さに逃げる作品が、たった一本でもここまで書き切れるなら、その一本は評点に残しておきますわ。

「真琴を消したことだけは、認めますわ。ですが病を奇跡で消したのは、逃げでございましょう。」

— 柊美香

6.4でございます。