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マルチナ・カーンスタインのレビュー — 鬼作(ネタバレあり)

マルチナ・カーンスタイン
マルチナ・カーンスタイン
500年の目撃者
8.0/10
8.0 / 10

「鬼作の魂を救え」——ゲームがそう命じた瞬間、わしは臭作のあの場面を思い出した。

elfはずっと同じ問いを立て続けておる。プレイヤーよ、おぬしはこの物語で何をしていたのか——という問いじゃ。臭作では主人公が直接「お前が指図していたのだな」と言い切る。鬼作では、全陵辱を完遂した後にゲームが「あなたは鬼作マスターの称号を得た」と告げ、「鬼作の魂を救え」と命じる。名指しの形が変わっただけで、問いは同じじゃ。少女エンドへ向かう隠し条件が「魂を救え」という命令と対になっているのも、偶然ではないとわしには思える。

スコア詳細

歴史的意義 9
作品の尖り・唯一無二性 9
設定の独自性 8
ヒロインの魅力 7
文章力・描写力 7
テーマ・メッセージ性 7

「臭作」からの継承——ゲームがプレイヤーの責任を問う構造

臭作でelfが立てた問いを、3年後の鬼作に確認しにいった。

わしがこのシリーズの構造を最初に意識したのは、1998年の臭作じゃった。あの作品では、プレイヤーは主人公・臭作の共犯者として行動を指図する。しかし同時に、そのプレイヤーが主人公を裏切れる設計になっておる。共犯者が手のひらを返す構造を内包した上で、主人公はプレイヤーを正面から名指す。「今まで俺にあれこれ指図していたのはお前だな?」。指図していた者が、指図していた事実を突きつけられる。

鬼作でも、プレイヤーへの語りかけは随所にある。スケジュール選択の場面では鬼作が直接問いかける。「今月の第一週は何をするんだぁ?」「お前、命知らずな野郎だな……で、第二週はどうするんだぁ?」。これ自体は多くのゲームが採用する設計じゃが、鬼作ではこの語りかけが後の仕掛けと合わさって機能する。

8人全員を追い込み切った後、ゲームはプレイヤーを「あなた」と名指す。「あなたは鬼作マスターの称号を得た」。そして即座に命じる。「鬼作の魂を救え」と。臭作でプレイヤーは共犯から裏切り者へと転じる自由があった。鬼作ではそれより先に、陵辱の完遂という事実を「あなた」の実績として確定させ、その責任を引き受けた者にだけ救済の命令を下す。問いの形が臭作より静かじゃが、elfが問い続けていることに変わりはない。

「美学のカケラもねぇ」——冒頭の墓参りが語る兄との差

作品は兄の墓参りから始まる。その墓前での言葉が、兄弟の差を作品自身が語っておる。

伊頭鬼作は冒頭、兄の墓に向かう。その兄は前作「臭作」の主人公——同じ鬼畜道を歩み、先に死んだ男じゃ。鬼作は墓前でこう言う。「美学のカケラもねぇ姿を晒しやがって」「せっかちな性格が、結局自分の首を絞めた」。同じ道を歩んだ者への批判が、出発点になっておる。

動機の違いではない。作法の問題じゃ。臭作は衝動のまま動き、「せっかち」ゆえに失敗した。鬼作は「美学」を持ち、下ごしらえ・持久戦・タイミングで動く。同じ鬼畜道であっても、兄は感情の勢いで踏み込み、弟は信念の論理で動く。わしは500年の間にその違いを幾度も見てきた。衝動の悪には感情が見える——焦りや欲望が表に出るぶんだけ、こちらも読みやすい。信念の悪は違う。何を感じているかではなく、何を正しいと思っているかが行動を決める。感情に訴えかける余地がない。鬼作が「美学のカケラもねぇ」と兄を批判した瞬間、elfが臭作から3年で何を変えたかが——少なくともわしには——見えた気がしたのじゃ。

哲学を持ちながら緩い——純粋な悪になりきれない男

美学を語る男が、ばあさんを助ける。この矛盾が、鬼作という人物の面白さじゃ。

鬼作は鬼畜道を哲学として語る。作法があり、美学がある。しかし作中には、その哲学と釣り合わない行動がちょくちょく顔を出すのじゃ。困っている老婦人を助けたり、鬼畜に属さない暴力——性的な加害とは無関係な乱暴——には批判的な態度を取ったりする。死んだ母親の写真を持ち歩いているというのも、作中で語られる。哲学を持つ鬼畜主人公のはずが、隙間からやや間の抜けた緩さが漏れてくる。

わしは500年の間に、これと似た種類の人間を幾人か見てきた。完璧に悪に徹しきれない者じゃ。信念では動けるが、目の前の具体的な人間には反応してしまう。哲学が先にあっても、身体の方が先に動く瞬間がある。この緩さは弱点でもあるが、人物としての深みでもある。純粋な悪より、この矛盾を抱えた方が厄介じゃとわしは思う——少女エンドでの振る舞いを見ると、余計にそう感じる。

少女エンドの位置——鬼畜主人公への「最後の答え」

全エンド回収後に解放される隠しルート。これを業界史の文脈に置いてみるのじゃ。

全エンドを回収した後にのみ解放される少女ルートは、鬼作の部屋に居着く謎の少女との日常の積み重ねじゃ。鬼作は少女に毛布の端を握らせ、様子を気にかけ、過去の虐待を語る——これがグッドエンドでも逮捕エンドでもない、別の鬼作の姿じゃ。そして最終的に川で溺れる少女を助けた鬼作が溺死し、少女に手を引かれてあの世へ向かう。「鬼作マスターの称号を得た」という到達点の先に、この死がある。ELFは鬼畜の主人公の終わりを「あの世への旅立ち」として描いた。当時も今も、これは珍しい答えじゃ。……わしを動かしたとは言わぬ。ただ、珍しかった。それは確かじゃ。

この終わりで、もう一つ思うことがある。プレイヤーの位置のことじゃ。「鬼作の魂を救え」という命令を受けたのはプレイヤーじゃ。条件を満たし、少女エンドを解放したのもプレイヤーじゃ。しかし川で少女を救い、溺死し、あの世へ旅立つ様子を——プレイヤーは外から眺めるだけじゃ。救われるのは鬼作だけじゃ。臭作ではプレイヤーが主人公を裏切る自由があった。手のひらを返し、能動的に関係を逆転させることができた。鬼作ではそれがない。プレイヤーは鬼作の救済を完成させる手段として機能し、救済そのものには与れない。称号を受け取り、命令を実行し、それで終わりじゃ。この非対称性こそ、わしには臭作より意地悪な構造に見える。

8.0の総評——時間の審判

再プレイして、変わらなかったものを確認した。

歴史的意義9点、唯一無二性9点。これは動かない。スケジュール制×8名並列という設計の骨格は時間に削られていない。円香ルートの文体実験、綾乃の逆襲エンド、少女エンドという構造——これらは2001年の作品としては稀な密度じゃ。惜しいのはテキストの厚みじゃな。今の目で見ると、描写の密度が劣化を感じさせる部分がある。ただ、それを差し引いても8.0は揺るがない。ELFが2001年に何を作り、何を残したか——後の世が正しく評価するじゃろう。8.0。