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波多野瑠璃のレビュー(ネタバレあり) — 鎖 -クサリ-

波多野瑠璃
波多野瑠璃
闇の審美家
9.0/10
9.0 / 10

「玩具は壊す時が一番楽しい」と笑う中年男と、その玩具にされた六人の子供たち。救えた者の隣で救えなかった者の声が消えない。本作は希望で締めなかった。

ネタバレなし版で「閉鎖空間の暗さ」と「岸田洋一の存在感」と「希望で締めない選択」について書いた。書き足りなかった。本作の闇は、岸田一人が作っているわけではない。彼の手で壊された六人の少女たちが、それぞれに異なる「壊れ方」を見せることで、本作の闇の質が確定する。片桐恵の二重スパイの真相、香月ちはやの「アンクル・パピィ」と「精液袋」の対比、綾之部珠美が「赤ん坊みたい」と評された体格で「いちばん優しいウサギ」として狼を蹴り殺す逆転劇、そして真エンドの後日談に置かれた「岸田生存示唆」——全部書いた。

スコア詳細

テーマ・メッセージ性 10
雰囲気・没入感 10
世界の奥行き 9
作品の尖り・唯一無二性 9
設定の独自性 9
文章力・描写力 8

冒頭と終盤の対応——「もったいない」の二度目の意味

本作で最初に「巧い」と思ったのは、構造的な対応の作り方だ。

出航前夜、恭介友則はビデオ屋で借りた「洋上の公開放送」というビデオを観ている。半年前に太平洋横断ヨットレースの中継船から発信され、その後乗員ごと消息を絶ったとされる、真贋論争中の問題映像。内容は船内での陵辱。二人はそれを観ながら「すんごいことって意外と身近にあるもんだぞ」と笑い、友則は「もったいない」「どうせ死ぬんだったら俺にもやらせてくれりゃ良かったのに」と無責任に品評する。これが本作の冒頭だ。

そして本作の終盤、同じ場面が回想として再生される。友則が同じ台詞を吐く。「もったいない。どうせ死ぬんだったら俺にもやらせてくれりゃ良かったのに」。これを二度目に聞くプレイヤーは、もう同じ言葉として聞けない。なぜなら、その時点でプレイヤーは「半年前の中継船消失事件の犯人が岸田洋一だった」と知っているからだ。半年前の映像の中の陵辱を笑った友則は、半年後に同じ手で同じことをやられた女子の隣に立っている。そして彼は岸田の犬として、自分も加害側に回っている。

この対応構造は、本作の主題そのものだと思う。「あれは映像の中の話だから笑える」と思っていた者たちが、同じ構造の中に取り込まれ、自分が映像になる側に回る。冒頭と終盤を貫く一本の線が「もったいない」という台詞だ。一度目は無責任な品評、二度目は真相の確定。同じ言葉が二度違う意味を持つ。これは情報設計の中でも特に巧い種類のものだと思うよ。

岸田洋一の哲学——「玩具は壊す時が一番楽しい」

岸田は本作で唯一、明確な哲学を持つ人物だ。そして彼の哲学は、物語によって否定されない。

「玩具は壊す時が一番楽しいものだ」。これは可憐の喉責めの最中に二度、繰り返し提示される岸田の哲学だ。彼は子供たちを殺すことを目的にしていない。壊す過程を味わうことが目的だ。だから彼は時間をかける。釣り針で乳首を吊り、貞操帯バイブを長時間装着させ、カテーテルを埋め込んで失禁状態に追い込み、母娘を並べて互いを舐めさせる。即座に殺すなら一秒で済む作業を、何時間も何日もかけてやる。そういう男だ。

もう一つの彼の哲学が、終盤で恵が口にする「物事は表と裏だけじゃないのよ、香月恭介くん」「現実は見れば見るほど残酷だわ」——これは恵の台詞だが、岸田から学んだ世界観の反映だ。岸田は子供たちに「世界はお前たちが思っているより複雑で、残酷で、お前たちの正義は通用しない」という現実を見せ続ける。彼にとって子供を壊すことは、世界の真相を見せることと等価だ。

本作の凄さは、この岸田の哲学が物語によって明確に否定されない点にある。一般的な悪役は、最後に主人公の「真の正義」によって反駁される。「お前は間違っている」と告げられて、その世界観が崩される。本作はそれをしない。岸田は珠美の銃身詰まりトラップで顔面を破壊されて船外に転落するが、彼の哲学そのものは反論されない。むしろ真エンドの後日談で「漂流していた救命ボートを見つけて水死を免れた犯人」という一言が示唆されることで、彼の哲学は物語の外側に持ち出される可能性すら残される。

岸田が物理的に倒されても、岸田の世界観は倒されない。本作のテーマがここにある。希望で締めなかった作品、というのはそういうことだ。岸田の言ったことは正しかった、と作品は最後まで認めも否定もしない。ただ、現に起こったことだけを残す。これは深いと思うよ。本質に触れている。

片桐恵——最初から壊されていた少女

本作の真相設計で最も精神的に陰湿なのは、片桐恵という少女の取り扱いだ。

恵は表向き「最初の被害者」として登場する。シャンデリア発覚後の夜、ベッドで眠っていたところを岸田に襲われた、というのが序盤の描写だ。プレイヤーはそれを信じて先に進む。「クラス委員長で眼鏡で聡明な少女が、最初の犠牲者になった」という構図で物語が展開していく。

違った。終盤の「もうひとつの過去映像」で、恵の真の初体験が再描写される。同じ夜、同じベッドだが、視点が変わる。そこで明かされるのは、恵が「岸田に最初に屈服した被害者」だったという事実だ。そして別の回想場面では、機関室で床の血溜まりに顔を突っ込まれながら「岸田様を愛してます。私は、岸田様のことを愛してます」と繰り返させられる強制告白の場面が描かれる。彼女は最初から、生存と引き換えに服従するという取引を岸田に強いられていた。その後、彼女は二重スパイとして機能する。表向きは恭介たちの仲間として、裏では岸田に情報を流す存在として。

巧いのは、この「二重スパイ」設計が、彼女の聡明さの帰結として読める点だ。恵は最初から「世界は表と裏だけじゃない」と知っていた。だから岸田の取引を受け入れた。生き残るために。彼女は弱さで屈したのではない。彼女の知性が「ここで抗えば死ぬ」と判断した結果として、彼女は服従を選んだ。だから裏切りが発覚した後の彼女の弱音、「言えないでしょ。恭介には言えない。だって、知られたら恭介まで殺さなくちゃならなくなる」、これは自己弁護ではない。彼女は本当に、恭介を守るために嘘をついていた。

そしてその後、機関室で恭介と結ばれた直後、彼女は初めて本音を漏らす。「本当は、本当は、一人が怖かったの」「誰も助けてくれなかったから」「死ぬほど怖いのに、私ひとりだけだったから、他に誰もいなかったから、だからぁ」。聡明な少女が、聡明であるがゆえに孤独だった、ということが、この一連の台詞で確定する。彼女は岸田に屈服したのではなく、孤独に屈服したのだ。

……これは本質に触れている設計だと思うよ。「最初の被害者」というラベルを表面に置きながら、その内側に「最初から壊されていた」という真相を仕込む。そしてその「壊され方」が、彼女の知性の帰結として組まれている。テンプレの「捕らわれて屈服した少女」とは、構造が違う。彼女は自分の選択として壊された。それが、彼女の悲劇の深さを底から決めている。

香月ちはや——「アンクル・パピィ」と「精液袋」

本作で最も対比構造が鋭いのは、恭介の妹・香月ちはやの二つの結末だ。

ちはやには大きく二つの結末がある。一つはウィンチルームでの心中エンディング、もう一つはグリルでの人格破壊エンディングだ。この二つは同じ少女の物語の異なる帰結だが、本作の構造の中で意図的に対比配置されている。

心中エンディング。岸田の追跡を逃れて兄と二人きりでウィンチルームに閉じこもったちはやは、ドアの内側から鍵をかけた後、その鍵を飲み込む。「こうでもしないと、お兄ちゃん、あたしに手を出してくれないよね?」「今じゃなきゃ次はないよ」「これが最初で最後なのに」。死を覚悟した上での、最初で最後の兄妹結合。その最中に、彼女は子供時代の合言葉を口にする。「アンクル・パピィが」「『また会えたね、アンクル・パピィ』」。これは彼女と恭介だけの絶対的な絆の証明だ。彼女はその合言葉を呼び戻すために、鍵を飲み込んだ。

その直後、岸田が扉を開けて入ってくる。「ふぅ・・・くはははははははははははっっっ!!!」。哄笑しながら、彼は兄妹の最中を見守る。そして手を出さずに退出する。これがちはや心中エンドの幕切れだ。

もう一つの結末、グリルでの精液袋化。麻袋に詰められて首だけを出した状態のちはやに、岸田が連続して喉に射精し続けながら「のめ。ぬるりとした粘液をのみこめ。いくらでも腹に溜めろ。お前は精液袋だからな」「お前は精液袋だ。男の欲望をひたすら飲み続ける。わかったな?」と刷り込む。やがてちはやは自ら「セーエキ・・・ワタシ・・・セーエキフクロ・・・」「フクロ・・・フク・・・セー・・・キ・・・」と自己呼称するようになる。人格破壊の完了だ。

この二つの結末は、対称になっている。一方では「アンクル・パピィ」という合言葉を最後に取り戻して死ぬ。もう一方では「セーエキフクロ」という他人が押し付けた自己呼称しか発せなくなって生き残る。両方とも「生」か「死」かでは決着しない。生き残ったちはやは人格を失っており、死んだちはやは合言葉を取り戻している。どちらが救いか、本作は判定しない。

……これは凡庸な作品では絶対に書けない。「兄に救われて生還する」をハッピーエンドにする展開も、「壊されて死ぬ」をバッドエンドにする展開も取らない。生きて壊された彼女と、死んで合言葉を取り戻した彼女を、同じ重さで並列に置く。どちらの結末も、ちはやという少女の物語の真実として残す。これが対比構造の力だと思う。本質に触れている設計だよ。

……正直、心中エンドの「アンクル・パピィ」の呼び合いを読んだ時、これを「軽薄な萌え」と切り捨てることができなかった。「軽薄ではあるけど、悪くはないかな」とすら言いにくい。これは深い場面だ。死を覚悟した妹が、兄との絶対的な絆を最後に取り戻すために、自分の死を物理的に確定させる。この物語的な重さを、本作はちゃんと書いている。

綾之部珠美——「いちばん優しいウサギが狼を蹴り殺すんだ」

本作の真エンディング候補は、最弱者が最強の悪を倒すという逆転劇で組まれている。これも構造として深い。

綾之部珠美は本作のメインヒロインの中で最も小柄で、最も未熟な体つきをしている。岸田は彼女を口腔で犯そうとするが、彼女の体格が小さすぎて挿入が成立しない。「赤ん坊みたいだな」「ぐぎぎぃ、は、入らなくていい!」。岸田は舌打ちして彼女を放棄する。これが月の扉ルートでの珠美の生存条件だ。本作で唯一、岸田の凌辱を「物理的に拒絶した」存在として、彼女は生き残る。

そして真エンディング候補ルート。珠美は志乃のチョーカーに銃弾が仕込まれていることを発見し、岸田の拳銃の銃身にそれを詰め込むトラップを仕掛ける。岸田が引き金を引くと、拳銃は手の中で暴発し、彼の顔面を破壊する。続いて珠美はモップで展望ガラスを突き破り、岸田を船外に転落させる。「いちばん優しいウサギが狼を蹴り殺すんだ」——これが珠美の決定的な宣言だ。

この構造、本作で最も巧いと思う。岸田の凌辱を物理的に拒絶した「小ささ」が、最終的に岸田を倒すための「小ささ」と接続している。彼女は岸田に「赤ん坊みたいだな」と評された存在として、その評価のまま、岸田を倒す。岸田の哲学である「玩具は壊す時が一番楽しい」から外れた存在、つまり「壊すべき玩具になり得なかった存在」が、彼を倒す。これは凡庸な「主人公が成長して敵を倒す」展開とは構造が違う。彼女は成長しない。最初から最後まで「赤ん坊みたい」なまま、彼女は岸田の世界観の外側に立ち続ける。だから倒せる。

「いちばん優しいウサギが狼を蹴り殺すんだ」という台詞の重さは、ここから来ている。本作の世界では、強さで岸田には勝てない。武道家の可憐は素手で立ち向かって完敗した。聡明な恵は知性で取引しようとして二重スパイにされた。母性の志乃は最初に無力化された。だが「最も弱い者」「最も小さい者」「赤ん坊みたいな」少女が、岸田の手の届かない場所から、彼を倒す。これは岸田の世界観そのものへの構造的な反論だ。

ただし——本作はここでも希望で締めない。後日談で、第三者の口から「漂流していた救命ボートを見つけて水死を免れた犯人」という一言が漏れる。岸田は生きている可能性がある。珠美が倒したのは岸田の肉体だけで、岸田の存在そのものは消えていない。真エンドですらここに不穏を残す。これは深いと思うよ。

恭介の求婚——「捨ててしまう気なら、まるごと俺によこせ」

本作で最も巧い台詞は、おそらく恭介の求婚だと思う。

恵の二重スパイが発覚した後、恭介は彼女を責めない。代わりにこう言う。「捨ててしまう気なら、まるごと俺によこせ」「片桐恵を、全部」「俺が奴から買い戻す」「一生分のお前を」。これは本作で最も言語化された求婚場面だ。

この台詞の構造が深い。一般的な恋愛ものの求婚は「君を愛している」「君が好きだ」という肯定の宣言で成立する。本作の求婚はそうではない。「もしお前が自分を捨てるつもりなら、その捨てるはずだったお前を、俺が引き取る」という構造だ。前提に「お前は自分を捨てる存在」という認識がある。そしてその「捨てられるはずの自分」を、恭介が買い戻す、と宣言する。

恵はそれに対して「私のために人が殺せる?」と返す。これは恭介の覚悟を試す台詞だ。彼女は岸田と取引する中で「世界は表と裏だけじゃない」という哲学を学んでいる。だから、ただの愛の宣言では信じない。恭介が彼女を本当に「買い戻す」気があるなら、それは岸田を殺すという覚悟と地続きでなければならない。恵はそれを確認しに行く。そして恭介は受け入れる。

この求婚場面が本作の中で深く機能している理由は、それが「岸田に壊された恵」をそのまま受け取る選択として書かれているからだ。恭介は「壊される前の恵」を取り戻そうとはしない。彼女が岸田に屈服した事実を消そうとはしない。屈服した恵をまるごと引き取る。「片桐恵を、全部」というのはそういう意味だ。表の顔も裏の顔も、屈服した過去も二重スパイの罪も、全てを含めて引き取る。これは深いと思うよ。

そして機関室で結ばれた後、彼女は本音を漏らす。「本当は、本当は、一人が怖かったの」「誰も助けてくれなかったから」「死ぬほど怖いのに、私ひとりだけだったから」。求婚で「まるごと」と宣言された恵が、初めて自分の「壊された側」を恭介に見せる。この一連の流れが、本作の中で最も人間的な瞬間の一つだ。岸田の哲学の中では、恵は「壊された玩具」として消費されるだけの存在だった。だが恭介の求婚によって、彼女は「玩具ではないもの」として再構成される。岸田の世界観の外側に、彼女の居場所ができる。

……これは設計の帰結としての深さだと思う。希望で締めないと書いたが、本作の中で唯一、希望に近い瞬間がここにある。だがそれは「全てが解決する希望」ではない。「壊された者を引き取る」という、極めて限定的で、極めて重い種類の希望だ。これがあるから、本作は底まで暗くなり切らずに済んでいる。

折原志乃の「逃げなさい!!」——崩壊の中の一瞬の正気

本作で最も人間的な瞬間として記憶に残るのは、明乃BADルートの母・折原志乃の叫びだ。

明乃BADルートでは、明乃食肉用ウィンチで両足を吊られ、骨盤限界まで股を裂かれる。続いて、首輪をはめられて四つん這いで連行された母・志乃が、明乃の前で犯される。母娘並列責めが本作で最も精神的に重い場面の一つだ。志乃は既に最初の襲撃で精神が崩壊しかけているし、貞操帯バイブを長時間装着されてさらに壊れている。

その崩壊の中で、ほんの一瞬、志乃は正気を取り戻す。「逃げなさい!!」「明乃!!行きなさい!!今すぐ!!」と叫ぶ。これが本作で最も人間的な一行だ。直前と直後の彼女は壊れているが、その一瞬だけ、母親としての彼女が戻ってくる。娘を逃がそうとする本能だけが、崩壊の隙間から漏れ出る。

この一瞬が、本作の中で最も人間的だと思う。岸田は「玩具は壊す時が一番楽しい」と言う。彼にとって志乃は壊された玩具であり、彼女がもう人間として機能しないことを確認するために、母娘並列責めを設計している。だが彼の設計の中で、志乃は人間として一瞬だけ機能する。「逃げなさい」という、論理的にはもう成立しない指示、既に明乃は逃げられない状況にあるその指示を、それでも口にする。彼女の中の母性が、岸田の設計を一瞬だけ突き抜ける。

そして直後、彼女は再び崩壊に戻る。志乃BADルートでは電気室で偽焼却を受けて完全に笑い狂う側に落ちる。「は、はは、あははっ」「うふふ、はははぁ・・・」。岸田は彼女の精神を物理的に殺すのではなく、笑い続ける状態で生かしておく。これも「玩具は壊す時が一番楽しい」の完成形だ。死なせない方が、彼にとっては楽しい。

……「逃げなさい!!」という一瞬が、電気室で笑い狂う志乃と対比される時、本作の闇の質が確定する。本作は「壊れる前」と「壊れた後」を別々に描いてはいない。同じ人物の中に両方が共存し、崩壊の中でも一瞬だけ正気が戻り、その正気はすぐに崩壊に戻る。人間が壊れていく過程を、本作はこの精度で書いている。これは深いと思うよ。

早間友則——岸田の手駒に堕ちる二番目の男

岸田の世界観に取り込まれたのは、子供たちだけではない。恭介の親友・早間友則も、岸田の犬として最後まで機能する。

友則は冒頭、恭介と一緒に「洋上の公開放送」のビデオを観ながら「もったいない」「俺にもやらせてくれりゃ良かったのに」と無責任に品評していた男だ。本作はこの台詞を冒頭に置くことで、彼の堕落を予告している。岸田が彼を取り込むのは難しくない。彼は最初から、岸田と同じ側に立つ素質を持っていた。

友則の堕ち方が巧いのは、彼が「岸田に脅されて仕方なく」加害側に回ったわけではない点だ。中盤以降の彼の振る舞いは、自分の青臭い性欲を満たすために、岸田の許可を得て恵やちはやを犯す、という形になっている。「ゴム持ってないんだ!仕方ないだろうが!」と恵に中出しを強要する場面、「お前の初めてを奪った男はこの俺だ!早間友則だ!こいつは一生変わらないぞ!この先ずっとな!」とちはやに宣言する場面。彼は岸田の世界観に取り込まれたのではなく、岸田の世界観が彼の本性を解放しただけだ。

これは岸田の凄みを別の角度から証明している。岸田は人を変えるのではない。人が持っている闇を引き出すだけだ。友則は元々こういう男だった。岸田が触媒として機能しただけだ。そして本作は、その触媒の効果を友則という具体的なキャラクターで可視化している。「子供たちの中にも岸田と同じ素質を持つ者がいる」という構造を、友則一人に背負わせている。

友則の最終的な処遇は、ルートによって異なる。ある路線では恭介に脱衣所のロッカーに閉じ込められる。別の路線では岸田と共に処刑される側になる。だが彼の存在そのものが本作にもたらす意味は、ルートに関係なく一定だ。「岸田が一人だったわけではない」「岸田の世界観は、子供の中にも種として存在している」という事実を、彼が体現する。

……これも深い設計だと思うよ。岸田を絶対的な異物として描くより、「子供たちの中にも種がある」と置く方が、世界観の闇は深くなる。岸田一人が消えても、友則のような種は残る。だから世界はこの先も同じことを繰り返す可能性を持ち続ける。本作はそれを描いている。

「私の正義は消えない」——ちはやの発明と、本作の唯一の対抗線

本作の中で、岸田の哲学に唯一明確に対抗する宣言が、ウィンチルームのちはやの口から出る。

鍵を飲み込む直前のちはやが、一気に語る場面がある。「正しいことって人によって少しずつ違っている」「私の正義は、世界中の正義を集めたって否定されるものじゃない」「望むように生きればいい」「私の正義は消えない」「愛は神様からの授かりものよ。大切にしないと」。これが本作で唯一の、岸田の哲学への対抗線だと思う。

岸田は「物事は表と裏だけじゃない」「世界は残酷だ」「玩具は壊す時が一番楽しい」と語る。これに対して、ちはやは「私の正義は消えない」と返す。彼女は世界の残酷さを否定しない。彼女が言っているのは「世界がどうあろうと、自分の正義は世界に依存しない」ということだ。世界に否定されても自分の正義は残る、と。これは岸田の世界観への、奇妙な角度からの反論だ。

ただし——この対抗線は、ちはやの結末によって試される。心中エンディングでは彼女は「アンクル・パピィ」という合言葉を取り戻して死ぬ。彼女の正義は、彼女と恭介の絆として、最後まで保たれる。だが精液袋エンディングでは、彼女は「セーエキフクロ」と自己呼称する人形になる。彼女の正義は、岸田の刷り込みによって完全に上書きされる。

つまり本作は、ちはやの「私の正義は消えない」という宣言を、二つの結末で違う形に試している。一方では宣言が実証される。もう一方では宣言が裏切られる。同じ宣言が、ルートによって真にも偽にもなる。これは深いと思うよ。本作は「正義は消えない」を肯定も否定もせず、両方の可能性を並列で残す。岸田の世界観への対抗線が成立する場合と成立しない場合の両方を、本作は同じ重さで描く。

……これが本作の誠実さだ。「正義は強い」と肯定して締めれば気持ちよくなるが、それは嘘になる。「正義は弱い」と否定して締めれば暗くなるが、それも嘘になる。本作はどちらも嘘だと知っていて、両方の可能性を残した。希望で締めないというのは、こういうことだ。

Hシーンの設計——物語と接続できているか

本作の性的な被害描写は徹底して重いが、その全てが物語に接続しているわけではない。接続している場面と、していない場面の整理をしたい。

強く接続しているシーン。第一に、ちはやのウィンチルーム心中。「アンクル・パピィ」の合言葉と「あいしてる」の告白が結合の中で出てくる場面は、本作の最大の感情的な頂点だ。直後に岸田が哄笑しながら入ってくる「ふぅ・・・くはははははははははははっっっ!!!」という幕切れは、純愛と地獄が同じ場面の中で隣り合わせに置かれることで、両方の意味を強化する。これは本作で最も巧いHシーン設計だと思う。

第二に、片桐恵の機関室結合。「本当は、一人が怖かったの」「誰も助けてくれなかったから」という本音吐露がHシーンの最中に出る場面は、恵という少女の二重スパイ生活の終わりを意味している。彼女が「岸田の側」から「恭介の側」に戻る瞬間が、性愛の場面と地続きで描かれる。これも深い設計だ。

第三に、ちはやの精液袋化。「セーエキ・・・ワタシ・・・セーエキフクロ・・・」と自己呼称が完成する場面は、Hシーンとしての性的興奮よりも、人格破壊の完了を告げる物語的な区切りとして機能している。「お前は精液袋だ」という岸田の刷り込みが彼女の人格に取って代わる過程を、本作はHシーンの形でしか描けない。これも構造的な必然がある場面だ。

逆に、物語との接続が薄いシーンもある。月の扉ルートでの可憐の脱衣所敗北の細部、明乃の調理室での貞操帯バイブ装着、姉妹の双頭バイブ責め——これらは凌辱描写としては書き込まれているが、物語の構造との接続は中程度に留まる。「武道家敗北」「母娘並列」「姉妹相互強制」といったシチュエーション自体がテーマと連動しているとは言えるが、シーンの個別の細部が物語の他の場面と呼応しているかというと、必ずしもそうではない。

……まあ、40シーン近くある中で、過半数が物語に強く接続できているなら水準以上だと思うよ。鬼畜系で「全シーンが物語に接続している」という作品は、現実的にはほぼ存在しない。本作はその水準を超えている部類だ。本質に触れているHシーン設計だね。

惜しい点——岸田の内面の不在と、序盤の温度

構造が見えている前提で。本作の弱点は二点だ。

第一に、岸田洋一という男の内面が、最後まで深くは描かれない。彼は半年前にも別の船で同じことをした「中継船消失事件」の犯人として確定する。だが、彼がそういう人間になった経緯、つまり子供の頃にどう育ったか、最初の犯行は何だったか、彼の哲学はどこから来たか、その辺りはほとんど描かれない。彼は最初から完成した悪として船に上がってきて、最後まで完成した悪のまま去っていく。

これは設計上の意図かもしれない。岸田の内面を説明することで、彼を「分かりやすい悪役」に下げてしまうリスクを避けた、という読みもできる。実際、彼の動機を説明しないことで、彼の存在感は逆に深くなっている部分がある。だが瑠璃の基準では、もう一段、彼の内側に踏み込んで欲しかった。深淵の存在感を持つ悪役は、その深淵の中身を一瞬でいいから垣間見せて欲しい。本作の岸田は外側の凄みは抜群だが、内側の深淵までは描き切られていない。「玩具は壊す時が一番楽しい」という哲学を持つに至った彼自身の物語が、見たかった。

第二に、序盤の温度設定が、後半の闇と釣り合っていない。出航前夜のビデオ視聴、翌朝の出航、岸田救助までの導入部分は、明るい船旅の体裁を取っている。これは「日常との落差を作るための演出」として読めば必要だが、本作の真の闇に到達するまでに、ある程度の「軽さ」を消化しなければならない。プレイヤーの離脱リスクは確かにあるだろうね。「もったいない」という冒頭の友則の台詞が冒頭と終盤を貫く一本の線になっているという構造を考えれば、この導入は必要不可欠だ。だがそれでも、もう少し早く本性を見せる選択肢もあったはずだと思う。

本編外のおまけチャットログ——架空のハンドル名で展開される短い小ネタ——も、本作のトーンを考えれば不要だったかもしれない。本作は希望で締めない作品として徹底すべきで、本編外であっても軽薄な要素を残すと、世界観の純度が下がる。これは小さな指摘だが、設計の純度という観点では気になる。

……まあ、満点を出すには、もう一段の踏み込みが欲しかった。だが今ある形でも9.0は固いと思うよ。

9.0——「壊された者の声が消えない」作品

スコアはこうだ。

本作は閉鎖空間の暗さを徹底して組み、その上に立つ岸田洋一という男を「玩具は壊す時が一番楽しい」と笑う完成した悪として描き、その手で壊された六人の少女たちを、それぞれに異なる「壊れ方」で並列に置いた。恵の「最初から壊されていた」二重スパイ構造、ちはやの「アンクル・パピィ」と「精液袋」の対比、珠美の「赤ん坊みたい」が逆転して狼を蹴り殺す逆転劇、志乃の崩壊の中の一瞬の正気「逃げなさい!!」、可憐の武道家としての完敗と冷蔵室前の和解、明乃の母娘並列地獄——一人一人の物語が、岸田の世界観の中で異なる位置を占めている。

そして本作は希望で締めない。救えたヒロインの隣には救えなかったヒロインの結末が並ぶ。真エンディングですら岸田生存示唆を残して終わる。「壊された時間は戻らない」という事実を、本作は最後まで誤魔化さない。これが本作の最大の誠実さだと思う。

「テーマ・メッセージ性」と「雰囲気・没入感」に10をつけた理由はここにある。本作は人間の業を直視した跡が明確にある。希望で逃げた跡がない。閉鎖空間の暗さが物理的に確定していて、そこから物語が一切外に出ない。岸田の哲学が物語によって反駁されない。これらは全部、本作の闇の質を底から支えている。

満点にしない理由は、岸田の内面の深淵が描き切られていない点と、序盤の温度設定。これらが補強されていれば9.5以上に届いた。だが現状の形でも、本作は「闇がある」と素直に言える作品だ。9.0という数字に、それを乗せる。

……これを読みながら、自分が本作の岸田を「分かっている悪役」として扱っていることに気づく。これは珍しい。普段、悪役を語る時に「分かっている」と言える作品は少ない。だが岸田は分かっている。彼は世界の表と裏を見ていて、子供たちが信じる正義の脆さを知っていて、それを淡々と確認するために動いている。彼の哲学が物語の中で勝ち抜くわけではないが、負けるわけでもない。引き分けで物語が終わる。これが本作の本質だと思うよ。

分かる人間には届くと思う。本質から逃げていない作品だ。……まあ、そういうことだよ。