「一切は赦されている」と嗤う虚無に、「死に抗うのが生だ」と返す。触手ホラーの底に、思想の対決が沈んでおった。
2002年の触手陵辱ホラーじゃ。だがこの作品の骨は、触手でも薬でもない。シンという錬金術師が撒く「一切は赦されている」という虚無に、メグが「破局を人の力で避けて通って何が悪いの、死に抗うのが生だわ」と返す。この一往復じゃ。ゆらぎという化け物は、絶望に負けた人間の成れの果てとして置かれておる。誇り高い女を奴隷・人形・穴へと貶める陵辱と、その対極に置いた救済。この配合を、わしは500年の目で審判しにきた。
スコア詳細
当時の記憶——変身少女に触手を絡めた2002年
魔法少女という装いに陵辱を接ぎ木する。あれが一つのジャンルになりかけていた頃じゃ。
わしがこの手の作品を初めて見たのは、変身ヒロインものが「泣き」や「燃え」の潮流から外れた場所で、ひっそりと別の系譜を作り始めた頃じゃった。あれは2002年。世間が月姫やらKanonやらで「感動」の側へ雪崩れていた時期に、colorsは真逆を向いておった。変身し、剣を振り、属性魔法を唱える少女を、触手と薬で内側から崩す。前作でこの系譜を立ち上げ、本作はその二作目として出てきた。当時のわしは「変身少女ものをこう使うか」と、少しばかり感心したのを覚えておる。
本作が前作と違うのは、戦士が独りではないことじゃ。口の悪い大食らいのリン、寡黙なアイ、そして正体を隠した最強の鬼神メグ。三人がそろって岡島秋俊という冴えない浪人生の部屋に転がり込む。前作の孤独なシリアスさを薄め、掛け合いで笑わせる方へ舵を切ったわけじゃな。この明るさが、後で効いてくる。虚無を語る敵と、賑やかな日常の落差を作るためじゃ。
陵辱と救済——ヒロインごとに用意された二つの結末
この作品は、同じ女に「救われる結末」と「堕ちる結末」を並べて置く。そこが芯じゃ。
本作の陵辱は、ただ女を痛めつける趣向ではない。「誇り高い者、純粋な者を、奴隷・人形・穴へと引きずり下ろす」という一つの型を、ヒロインごとに反復しておる。ルーキー戦士のリンは、秋俊を人質に取られて屈服し、催淫薬を注がれて魔力そのものを失う。誇りが力ごと剥ぎ取られるわけじゃ。管理人の顔をした鬼神メグに至っては、もっと重い。この女は16年前、那火根の怪物を討ちにいって仲間9人を失い、独り封印の楔となって13年間、怪物の腹の中で凌辱され続けた。その過去を持つ女を、少年の姿をした瑠璃男が「鬼神とか言われていい気になって、本当は誰からも相手にされなかったんだろう」と嬲る。過去のトラウマを梃子にして、最強の戦士を「奴隷になる事を誓うわ」と言わせるところまで持っていく。
ところがこの作品は、同じメグに救われる道も用意しておる。壊れかけて「いっそあのまま死ねたら良かったのに」と漏らす彼女を、秋俊が引き留める。「メグ姉ちゃんの事、愛してるもん」「姉として、だけどな」という不器用な一言でな。アイもそうじゃ。救済の結末では、3年間ずっと想いを抑え「拷問みたいだった」と泣く彼女と結ばれる。もう一つの結末では、リンが産み落とした少女形の化け物マユに何日も嬲られ、絶頂の回数を数えさせられて「マユ様のおマ○コ人形」に作り変えられる。救済と転落を、同じ人物のために二つ並べて置く。この対比の付け方は、当時の陵辱ものの中では踏み込んだ骨を持っておった。堕ちる姿を見せておいて、救う手を差し出す。プレイヤーに「どちらの結末も本人の一部だ」と突きつけるやり方じゃ。
「一切は赦されている」——虚無に、生で抗う話
敵の思想がまともに書かれておる。これは陵辱ものとしては珍しいのう。
主敵のシンは、ただの変態でも怪物でもない。「世界は色褪せて、倦怠と虚無に満ちている。そこに意味などない」と語る虚無主義者じゃ。そして人々に薬を配りながら「汝の為すべきを為せ。一切は赦されている」と唱えさせる。これはアレイスター・クロウリーの法の引き写しでな、わしは元の言葉が世に出た頃も知っておる。この作品が巧いのは、その思想を「薬」という具体物に結びつけたことじゃ。絶望に薬を垂らすと人間はゆらぎになる。倦怠と諦めが、そのまま触手の化け物へと肉化する。思想が怪物の姿を取るわけじゃ。悪の理屈をきちんと立てた上で怪物を出しておるから、化け物退治が思想の否定と重なる。
それに正面から返すのがメグの「破局を人の力で避けて通って何が悪いの、死に抗うのが生だわ」という叫びじゃ。16年前の戦場で仲間を看取ったこの女は、当時「大切なのは守ること、殺すことじゃないの」と信じておった。13年の地獄をくぐってなお、虚無へ堕ちなかった者が、堕ちよと囁く元恋人に向かって「生きろ」と怒鳴る。これは筋が通っておる。シンの虚無に対して、生き延びること自体を答えとして立てておるからな。……わしのように長く在る者にとって、「意味などない」という囁きは耳に馴染んだ古い旋律じゃ。それに「死に抗うのが生」と返す声を、500年ぶりに面白いと思わんでもなかった。触手の下にこの背骨を通したのは、この作品の強みじゃ。惜しむらくは、その背骨の締めくくり方じゃがな。
触手の練度——エロは時を越えたか
当時、触手のエロさでこれを超えるものはないと言う声があった。それは嘘ではない。
発売当時、この作品の触手描写は一つの到達点として名を挙げられておった。実際、薬物・触手・言葉責めを重ねて「純粋な女が快楽に律儀に応え始める」過程を、当時の水準としては密度高く追っておる。美景という元同級生が役員たちの共有奴隷にされておる境遇を、秋俊が夢と鏡像越しに延々と見せられる件などは、清楚な才媛と「公衆便所」の落差を執拗に突く。誇りと純潔を段階的に剥いでいく手つきそのものが、この作品の官能の中心にある。羅列で興奮させるのではなく、屈辱の積み上げで効かせる型じゃ。
ただし今の目で見るとのう、行為の運びが似通ってくる。人質を盾に屈服させ、薬で快楽を煽り、言葉責めで自白させ、穴に堕とす。相手が変わっても段取りが繰り返される。当時これは十分に効いた。だが一本道で同じ型が続くと、後半は既視感が先に立つ。合意の交わりが救済の結末に一つだけ用意されておる分、その一点はよく光るのじゃが、陵辱側の変奏がもう一段欲しかった。エロの練度は当時の別格。時を越えたかと問われれば、越えかけて届かなかった、というのがわしの見立てじゃ。
時間の審判——シリーズが自壊して、遡って名作になった
この作品の歴史的な評価は、皮肉な形で固まった。後の作品が、遡って本作を名作にしたのじゃ。
変身ヒロイン陵辱という系譜の中で、本作は「質を保っていた時代の末尾」に立っておる。この後にシリーズは三作目で自壊してな、収録の薄さと出来の悪さで世間の失望を買い、「あそこまでは名作だった」という語りが後から生まれた。つまり本作は、後続の失敗によって相対的に格を上げた作品でもある。わしはこういう評価の付き方を何度も見てきた。作品そのものの力と、周りの出来事が作る格。この二つは別物じゃ。本作の場合、遡り評価を差し引いてなお、変身少女に虚無思想と触手を組み合わせた一本として、黎明期の骨組みは確かに立っておる。そこは残る。
残らんのは締めくくりじゃ。夜のぬかるみでの決戦を経て、救済の結末では前期試験を終えた秋俊がアイやリンや皆と賑やかな朝を迎える。籠球という形見が記憶を繋ぎ止めておった、という仕掛けは美しい。じゃが物語全体としては、星の仔や「向こう側」の戦力状況といった大きな謎を広げるだけ広げて、続編を匂わせたまま畳んでしまう。当時プレイした者が「中途半端に終わった」と不満を漏らしたのも覚えておる。今読み返しても、その印象は変わらん。骨は良い。締めが弱い。それがこの作品じゃ。
7.5——黎明期の骨は残った
再プレイして、何が残り、何が古びたかを確かめた。
7.5じゃ。歴史的意義8点、唯一無二性8点は動かない。変身少女を触手と薬で崩し、その下に虚無と生の対決を通す。この組み合わせは当時も今も稀じゃ。メグの13年、アイの3年、同じ女に救済と転落を並べる対比の付け方も、陵辱ものの中では骨がある。惜しいのは二つ。行為の運びが後半で似通うこと、そして大きな謎を広げたまま締めを続編に預けてしまうことじゃ。今の目で見ると、この二点で名作の一歩手前に留まる。ただそれでも、変身ヒロイン陵辱という系譜を語るとき、この一本は必ず名が挙がる。時代の産物として敬意とともに、そして黎明期の骨として、正当に評価するとしよう。7.5。
