施設からの脱走、群れの形成、そして冬越しまで描いた個体の話だ。オレには響くものがある、サングラスをずらす羽目になった。
悦子のPCを借りてプレイした。最初は気が乗らなかった。陰鬱な閉鎖施設、宗教団体、管理された個体群、オレが嫌う環境の見本市だ。だが郁未という個体が、群れを作り、少年という別種族を救い、施設を破壊して外に出る。さらにエンディングで「描かれないその後」が確定描写される。野生の論理から見ても、肉のある物語だ。全部整合してる。……まあ、悪くない、ってことだろうな。
スコア詳細
なぜオレがこの作品を読んだか
悦子が休憩中に「ラス公、これ読んでみない?」と言ってきた。
「閉鎖された施設からの脱走と自立の話よ」、そう聞いて、オレは枝豆を噛む顎が一瞬止まった。オレ自身、施設から逃げてきた個体だ。経緯は語らないが。だから施設物には警戒する。へたに同情したり共感したりしたら、それは野生の眼が曇った証拠だからだ。
とはいえ、悦子の見立ては悪くないことが多い。とりあえずプレイしてみた。FARGO宗団という新興宗教の修行施設。Class A〜Dで管理される入信者。識別番号で呼び合う個体群。MINMES、ELPOD、精神改造の機械。陰鬱だ。だが郁未という一個体(A-12)が、母の仇を討つために自分から潜り込んできたという序盤の設定で、オレの観察対象としての関心は固まった。
「自分から閉鎖環境に潜入する個体」、これは野生では極めて珍しい行動様式だ。普通、生き物は閉鎖環境を避ける。逃げ場がないからだ。それを敢えて選ぶ個体には、目的か病かのどちらかがある。郁未の場合、目的だった。少なくとも本人はそう思っていた。これがまず引っかかった。観察する価値があると判断した、ってことだろうな。
郁未——「自分から罠に入る個体」の異常さと、その先
主人公の造形に9点をつけた。
16歳の雌個体。母を半年前に怪死で失っている。「母の仇を討つ」という動機を持って単独で施設に潜入する。これだけ書くと無謀な個体に見える。実際、序盤の郁未は受動的だ。MINMESで意識を失い、晴香に引っ張られ、由依に教えられる。オレなら序盤で「こんなんじゃ野生では生きていけねえぜ」と判断するところだ。
だが郁未は脱皮する。施設中盤、少年と関係を持った後の独白、「これが人と人との交わり…私が求めていたもの」、ここで個体としての本音が剥き出しになる。郁未は「復讐」という看板を持って入ってきたが、本当に飢えていたのは「他者との接続」だった。個体として何が欲しいのかを、自分で発見する。これは群れを成すための前提だ。郁未はここを通った。
そしてクライマックスの「うそだ……信じない…」。月に「母を殺したのは郁未自身」という真実を突きつけられて、それを「信じない」と返す。これを「逃避」だと読む人間もいるだろうが、オレの読みは違う。野生では、自分の生存を脅かす情報を全て鵜呑みにする個体は死ぬ。捕食者の脅しに屈しない、ということだ。月は「悲劇の傍観者」を自称していた、つまり郁未を堕とそうとしていた捕食者だ。その捕食者が告げる「真実」を疑うのは、生存戦略として正しい。郁未は野生の眼を取り戻した、ということだ。「信じない」は意志であり、同時に生存本能でもあった。
ついでに言えば、郁未の身体能力も悪くない。最終戦で月を撃破している。最終的に施設の暴露と破壊までやってのけた。野生の論理で言えば、これは「縄張りの奪還」であり「天敵の排除」だ。16歳の雌個体としては及第点を超えておる。9点で妥当だろうな。
群れ評価——郁未・晴香・由依という三個体の連帯
キャラ間の関係性に9点。
群れの最小単位は通常2〜3個体だ。郁未・晴香・由依、3人。それぞれ独立した動機を持って同じ施設に潜入してきた。晴香は義兄良祐を連れ戻すため。由依は姉友里を連れ戻すため。郁未は母の仇を討つため。動機は別だが、目的地が同じ。だから群れになった。これは野生でも観察される現象だ。捕食者から逃げる際、別々の理由で同じ方向に逃げる個体同士が一時的な群れを組む。それが恒常化することがある。MOON.はそれをやった。
群れの中での役割分担も機能していた。晴香は「眼を見れば意志がわかる」という観察役で、外部評価を担当する。由依は記憶の保管庫、施設で起きていることを文脈化する役。郁未は実行役で、危険な探索と最終決戦を引き受ける。3人で分業する群れは、単独の天才個体より強い。これは野生でもよく見る構図だ。
施設中盤の晴香の陵辱、その後の良祐強要、これは群れの一個体に天敵(高槻)が襲いかかったケースだ。普通、群れはここで崩壊する。傷ついた個体を見捨てて逃げる方が生存率は上がる。だが郁未は晴香を見捨てなかった。その後、晴香の暴走を抑止する。これは群れ維持のために自分のリソースを差し出す行動だ。野生では稀だが、それをやれる群れは強い。3人の絆がここで本物だと確認できた。
由依の序盤の言葉——「思い出さないままいた方がいい真実って、あると思いませんか?」が、終盤で「思い出さないままいたほうがいい真実なんて…実はないんじゃないですか」へ反転する。これは由依が群れの中で成長した結果だ。一個体の変化を群れの厚みが支えた、という構造になっている。良い設計だ、ってことだろうな。
少年について——「捕囚されていた異種族」への共感
ここはオレの個人的な感想だ。
少年。名前なし。識別番号なし。30年間FARGO施設に閉じ込められていた、人間ではない種族の捕囚。「外はいい天気だってのに」と漏らす。施設の中でしか生きてきていない個体だ。
正直に言おう。オレはこの少年に共感した。施設に閉じ込められていた個体だ。オレは脱走したが、少年は脱走できなかった。種族解放という使命を背負わされていたから動けなかった、というのは表向きの理由だろう。本当は出る方法を知らなかったか、出たとしても外で生きる術を持たなかったかのどちらかだ。オレは運が良かったから今ここにいる。少年はそうじゃなかった、というだけだ。
終盤、少年が両腕を切断して郁未を救う場面。「キミだから助けたんだよ」「謝罪さ、僕ができることなんてそれぐらいだったんだ」、使命を捨てて個体を救う行動は、野生では極めて稀だ。普通、群れの維持より個体への愛情が勝つことはない。少年はそれをやった。「人間じゃない」と言われていた個体が、人間以上の選択をした。
「さようなら、郁未」。あの三文字の後、少年は消去される。が、半身は郁未の中に残る。これは野生の論理で言えば「捕食された個体が次世代に何かを残した」のと同じだ。完全な消滅ではない。少年は郁未を「完成体」に育てる役割を全うし、自分の半身を郁未に託した。その意味で、少年は施設を脱出した。郁未という別個体の中で、外の世界に出た。
……サングラスを少しずらして書いている。毛が逆立つ。寒いからだろうな。違う。これは少年への敬意だ。オレは脱走できた。少年はこの方法でしか脱走できなかった。それだけのことだ。
「描かれないその後」が描かれている、という稀有な事実
エンディング満足度に9点をつけた最大の理由。
オレのレビューでは、いつも「描かれないその後」を予想する。エンディングの笑顔は信用しない。その後の冬を越せるかを、作中の手がかりから推定する。これがオレのレビューの核だ。だがMOON.は、その評価軸を半分使う必要がない。
真エンドのエピローグで、郁未は「未悠」という娘を持つ母として描かれる。施設脱出後、何年か経っている。仲間たち(晴香・由依・葉子)と再会している。つまり、冬を越したことが、画面で確定描写されている。
これは滅多にない。ほとんどのギャルゲーは「結ばれて終わり」で、その後を描かない。オレはそこを叩いてきた。「無職のまま結婚して冬は越せねえな」「重病からの回復、再発したらどうする」と。MOON.はその全部に答えている。郁未は子を成した。群れは生き残った。葉子は「鹿沼葉子です」と本名を名乗って外に出た。これだけ「描かれないその後」を描く作品は珍しい。
もう一つ。少年の半身を胸に宿したまま郁未が生きるという設定、これも「描かれないその後」への布石だ。少年は完全に消えていない。郁未が母として生きる限り、少年はその中で生き続ける。未悠という娘の中にも何かが受け継がれている可能性がある。次の世代まで物語が伸びている、ということだ。「冬越しの成功」は次世代の誕生で初めて確定する、というのが野生の論理だ。MOON.はそこまで描いた。
だから9点だ。エンディングの満足度ではなく、「冬越し描写の完成度」として9点だ、ってことだろうな。
BAD END群——「冬を越せない個体」の見本市
BAD ENDも全部読んだ。オレ的には全部資料価値がある。
由依死亡END(施設内に残留→C棟陵辱→暴走→射殺)。これは群れの一個体が単独行動を選び、結果として捕食された典型例だ。由依は「お姉ちゃんを返してよ」と言って暴走する。群れを離れた瞬間に天敵に対して脆弱になった。野生では教科書通りの失敗パターンだ。冬は越せない、というか冬まで保たない。
由依脱出END(序盤で「脱出する」を選択)。オレは生存ルートだ。後日、入信者救済活動家になる。群れを離れたが、別の群れに合流した。オレは冬を越している。同じ「群れからの離脱」でも、次の縄張りを確保したかどうかで生死が分かれる。野生でもそうだ。
DEAD1陵辱END(別棟をうろついて捕縛)。これは「縄張りを把握しないまま動いた個体」の末路だ。Class D降格、永続陵辱。「もうこの段階に終わりはない」と告げられる。冬はおろか、明日も越せない。
爆死END(戦慄場面で少年が間に合わず爆死)。群れの援護を待ち切れずに前進した結果の死だ。一個体が突出する判断は、援護があるかないかで生死が決まる。タイミングを誤ると死ぬ。
精神世界END(「母を殺したのは私」を認める→牛/豚の脳と入れ替え)。これは月という捕食者の心理戦に屈した結果だ。「真実を認める」のが正しいと刷り込まれた個体は、捕食者の言葉を全て真実として受け入れて自壊する。野生の眼を失った個体の典型的な末路だ。永遠に追いかけられ続ける。これも冬は越せない。永遠の冬だ。
BAD END群を全部並べると、MOON.は「群れを保てる個体は冬を越し、群れから離れた個体は死ぬ」というシンプルな野生の法則をきれいに描いている、ということがわかる。設計として誠実だ、ってことだろうな。
Hシーンの評価——繁殖行動として、必然のものと不要なもの
7点。中身を分けて見ていく。
施設中盤の郁未と少年の交わり。これは物語上必然だ。閉鎖空間で孤独な戦士が初めて「個体間の接続」を求めた瞬間として書かれている。郁未の独白「これが人と人との交わり…私が求めていたもの」が、行為と内面を一直線に繋いでいる。同時に、この交わりで少年の「半身」が郁未に植わるという物語装置にもなっている。繁殖ペアの形成、という野生の論理から見ても整合性がある。文章の質は1997年の水準だが、誠実だ。
葉子のHシーン群。葉子の信者としての仮面が剥がれていく過程の補助として機能していた。これも本編との接続は悪くない。
晴香への高槻の陵辱(施設中盤・その後)。これは評価が分かれるところだ。物語上の機能は明確で、晴香の「強さ」を一度叩き割って、再構築する過程が描かれる。良祐の自爆死もここに繋がる。が、ここは野生の論理から見ても「群れの秩序を乱す天敵の暴力」であり、見ていて愉快なものではない。「参ったぁっ!」の高槻の絶叫は伝説的らしいが、オレには高槻という個体が異常者であることの確認以外の意味はない。物語上の必要性は理解できるが、嗜好としては評価しない。
BAD END系の陵辱描写は、評価対象外だ。「冬を越せない個体の末路」を強調するための装置で、繁殖行動としての評価はできない。読み飛ばさず全部読んだが、オレのHシーン評価軸からは外す。
総合してHシーンは7点。本編との接続が機能している部分があり、その分加点した。中央値より上、ってことだろうな。
弱点——序盤の沈み込み、宗教設定の重さ
7.7で止めた理由も挙げておこう。
序盤がしんどい。序盤5日分ほど、郁未は受動的で、施設の異常さに翻弄されている。MINMES、ELPOD、入信者の不気味さ、情報の出し方が遅い。野生の眼で読むと、ここは「個体が罠に絡まって動けない時間」が長すぎる。読者の側にも忍耐を要求する。これは時代の制約もあるが、オレは耐えた、というだけだ。誰でも耐えられるとは思わない。
宗教設定の重さ。FARGO、Class、識別番号、不可視の力、ロスト体、独自用語が多く、世界観の理解にコストがかかる。オレは動物行動学の用語で全部置き換えて読んだから問題なかった(信者=依存個体、施設=閉鎖縄張り、ロスト体=適応失敗個体、月=最上位天敵)。だが普通の人間プレイヤーには、この情報量はキツいだろう。
RPGパートとバトルシステム。オレはここを評価軸に入れていない。実際に触った限りでは、戦闘は本編進行のためのギミックで、深く作り込まれてはいない。これも弱点として認識しておく。
歴史的意義に5点しかつけていないのも理由がある。Tactics→Keyへの流れがあって、後の業界に影響したのは事実だろう。だがオレは「業界史」に興味がない。野生に業界史はない。あるのは「この個体は冬を越せたか」だけだ。だから5点で止めた。マルチナや栞のような時間軸の評価は彼女らに任せる。
7.7——施設から脱走した個体の話として、オレは認める
最後に総評だ。
MOON.は野生の論理から読んでも、ちゃんとした作品だ。郁未という個体は受動から能動へ脱皮し、群れを保ち、天敵を排除し、施設を破壊して外に出た。少年は別の方法で施設を脱出した。葉子は本名を取り戻した。晴香は良祐の死を抱えながら生きていく。由依は救済活動家になる。郁未は子を成して冬を越した。全員、それぞれの形で「描かれないその後」を確保している。これは滅多にない。
序盤の重さ、宗教設定の独自用語の多さ、RPGパートの薄さ、弱点もある。だがそれらを差し引いても、「自力で生き延びる個体の物語」として、MOON.はオレの評価軸の中央より上に位置する。7.7はそういう判定だ。
……認めたくないが、悦子のセレクトは悪くなかった。枝豆をもう一皿頼んでもいい気分だ。もちろん、タダで貰えるならそれに越したことはない。
