恋愛ADVの皮をかぶって、信じる力を問うた一本じゃ。
2000年に生まれ、わしは2001年のWindows版で島へ渡った。ゼミ合宿の賑やかな6日間に、当たりすぎる予知という小さな棘が一本だけ刺さっておる。見た目は当時ありふれた恋愛アドベンチャーで、中身は時間と人の心をめぐる問いじゃ。荒い所はある。同じ日々を何度もなぞる手間も軽くはない。それでも、この島で投げかけられた問いは25年経った今も古びておらん。総合7.3。シリーズの最初の一歩として、見届ける価値はある。
スコア詳細
2001年、Windowsの画面から島へ渡った
「7」に「Never」を付けた題名を見て、わしは数を数えた。七日目に、届かぬのか、と。
KIDの『Never7 -the end of infinity-』。最初の形は2000年3月のPlayStation『infinity』で、これがいづみの物語に進めぬ不具合を抱えたまま出てしまった。同じ年の11月にネオジオポケットカラーの『INFINITY cure.』が出て、12月のドリームキャスト版で今の題名になり、追加シナリオと追加エンディングが加わった。わしが遊んだのはその翌年、2001年10月のWindows版じゃ。ドリームキャスト版で加わったものを引き継ぎ、優夏の目から2周目を描き直す追加シナリオ「優夏キュア」も収めておる。このレビューもその版の記憶と、今回の再プレイで書いた。
筋はこうじゃ。授業にろくに出ておらん大学3年の石原誠が、心理学科のゼミ合宿で絶海の孤島に連れて来られる。7泊8日。ロッジには班長の川島優夏、口をきかぬ樋口遙、財閥の御曹司の飯田億彦。坂の下のカフェ「ルナビーチ」には守野いづみと妹のくるみ、別荘には優夏の旧友の朝倉沙紀。そして4月1日の朝から、誠はこれから起こることを言い当ててしまう。
ここから先は結末まで踏み込むぞ。クリアした者だけ付いて来い。
当時の記憶——ギャルゲーの顔をした、別の何か
あの頃の恋愛アドベンチャーは、学園と日常と告白で回っておった。この島も、最初はそう見えたのじゃ。
2000年前後といえば、PCではTo Heartのような日常の積み重ねで恋を描く作品が評判をさらい、KIDは家庭用機の専業ブランドとして恋愛ものを次々に出しておった。だから最初の数日、わしは身構えずに遊んでおった。優夏の不思議な朝食、誤配のピザ、プールの地震、カレーかシチューか肉ジャガかの夕飯。どれも合宿のドタバタじゃ。ところが、そのドタバタが全部当たる。誠が口にした献立が出てくる。めくる前のトランプの並びを言い当てる。笑っているうちに、背中が冷えてくる。
のちに書き手の打越鋼太郎は、売るためにキャラクターを前に出す必要があり、SFやミステリを入れる余地は限られておった、という趣旨を語っておる。当時のわしはそんな事情は知らなんだ。ただ、ギャルゲーの皮の内側で何かが軋んでおるのは分かった。皮と中身が噛み合っておらん。それがこの作品の弱さで、同時に一番の面白さじゃった。
そして4月6日の土曜日じゃ。わしが最初に進んだ枝では、ヒロインが命を落とした。手から、色あせた紅い紐の鈴がこぼれる。目を開けると、また4月1日の朝。当時の画面の前で、わしはほう、と小さく声を出したのを覚えておる。500年生きて、そう声が出ることは多くない。
再プレイして——説は語られる。だが、答えは渡されぬ
25年ぶりにやり直して、いちばん驚いたのは、この作品が自分の謎に答えを出しきっておらんことじゃった。当時は、答えはいづみの講義じゃと思い込んでおったからのう。
1周目の悲劇は、誰と5日以降を過ごしたかで変わる。いづみは雨の森の崖から落ち、遙は子犬をかばって車にはねられ、くるみは夜明けの神社で地震の倒壊の下敷きになる。沙紀は展望公園の岬の突端から落ち、優夏は神社の裏で倒れかかる壁の下になる。死ぬのは「彼女」であって、名指しはされぬ。冒頭の夢で誠が抱いておるのが誰なのか、どの道を選んでも当てはまるように書かれておる。この仕掛けは今やっても効いておった。
いづみの講義
2周目のいづみの道で、店員だと思っておったいづみが実は誠の大学の教授じゃと明かされ、キュレイシンドロームという病の話が始まる。周りの嘘を本人が信じ込み、最初に嘘をついた者もそれを真実だと思う。そして三つ目がこれじゃ。「妄想が、真実になること。強固な思念が、新たな現実を生み出すこと。それが、第3の特徴だったのよ……」。死を見た誠の、過去に戻りたいという思いが現実を歪めた、といういづみの説じゃ。予知が当たるのも、覚えていたのではなく、その場で決めていたからだと言う。
当時はここで膝を打った。ところが今回、最後まで辿り直して気づいた。いづみはこの説を出しておいて、自分の世界ではキュレイシンドロームに冒されておるのは自分のほうかもしれん、とまで言う。誰の頭の中の現実なのか、決めさせぬのじゃ。しかも同じいづみの道の4月7日の朝には、誠が見た異変、つまりくるみの背中の傷が消えた、神社が消えた、鈴やトランプが消えた、というものが、試着していた遙の背中だの、双子の神社の跡だのと、ひとつずつ現実の言葉で片づけられてしまう。最後に床のトランプが白紙じゃったことだけが、説明されずに残る。
……おお。これは当時のわしには見えておらなんだ。説は与えるが、説の正しさは保証せん。時間の遊びであり、同時に人の心の遊びでもある。時間を繰り返す話でありながら、問われておるのは時間の仕組みではなく、誰の心が現実を決めるのかじゃ。
ドッキリの系統
もう一つ、いづみには別の系統がある。崖から落ちたいづみは気絶していただけで、今日は4月7日。ループなど無く、億彦が日付を偽ってもう一度4月1日のふりをしようと言い出しておった。誠はいづみと組んで、逆に億彦を担ぐ。同じ娘の同じ崖から、片方は病の理論へ、片方は手の込んだいたずらへ分かれていく。同じ出来事を、信じ方ひとつで別の話にしてみせる。これを2000年にやっておったのじゃから、珍しいのう。
時間の審判——「信じる」という一語は、まだ生きておる
残るか、残らぬか。この作品で残るのは、いづみの口から出たひと言じゃ。「真実かどうかよりも、信じられるかどうかのほうが大切」。
再プレイで見直したのは、この一語が他の娘たちの道にも通っておることじゃ。くるみは、誠に騙されたと思い込んで神社へ走る。夜明けまで待った誠が、1周目にくるみから教わった紙飛行機「くるみ17号」を折ってみせる。折り方はくるみしか知らぬ。くるみは「くるみしか……知らないのに……」と言って、誠の話を信じる。沙紀は売上金を盗んだと疑われ、岬の突端でフェンスを越える。そこで誠が叫ぶのが「人を『信じる』のに理由がいるか!」じゃ。ループの謎を解いたから救われるのではない。誰かが誰かを信じたから、4月7日が来る。テーマに8を付けたのはここじゃ。
本筋では、どの娘の道も4月7日に届く。遙はくるみと同じB型の血で命をつなぎ、優夏は誠と抱き合って崖から海へ落ち、ロッジで朝を迎える。ただし、選び方を誤れば悲劇の分岐が口を開けて待っておる。この重ね方は当時としては手堅い。
エンディング満足度は6じゃ。理由は二つある。一つは、謎の背骨にあたるくるみの空白の3年間が、どの道でも決着せんこと。誠はくるみが3年後へ跳んだのだと推理するが、それは誠の説で、いづみは信じきれぬ。くるみの道の結末でも、血のつながりの証明もいづみとの和解も描かれず、潰れた神社に二人で参って明るく終わる。もう一つは、崖の下で目を覚ます別の結末じゃ。いづみは生きておって泣いておる。誠のほうは血を流してサイレンを聞くだけで、生死は書かれぬ。このいづみは星の砂を知らぬのに、誠のポケットには三粒の星が入った小瓶がある。余韻としては上等じゃが、満腹にはさせてくれぬ。今の目で見ると、問いを投げたまま手を離した箇所が目立つ。わしはそこに6を置いた。
文章には7を付けた。誠の軽口と、優夏や億彦が起こす騒ぎは今も笑える。いづみが星空の下でレグルスを指して「しし座のレグルスは、今から84年も前の光……」と言う場面の静けさも上等じゃ。ただ、2周目の講義は説明が長く、理屈を言葉で運びすぎるところがある。当時はこれで十分じゃった。今の目で見ると甘いのう。
業界史の中で——始まりの一本として
歴史的意義に8、作品の尖りに8。どちらも最初の一歩であることへの点数じゃ。
同じ日々を繰り返し、その中でヒロインの死を回避する道を探る。こうした筋立ては、後のビジュアルノベルで一つの定番になった。Never7はその早い一本じゃ。今の評価で言えば、ErogameScapeのWindows版の中央値は72あたりで、佳作の位置に落ち着いておる。わしの点もそこから大きくは外れぬ。ただ、この作品の値打ちは点数の高さではなく、恋愛アドベンチャーの皮の内側に、時間と心の問いを縫い込んだ最初期の試みであることにある。
当時から評判は割れておった。キュレイシンドロームは説明が足りぬ、便利すぎる、と言う者がおったし、ヒロイン5人を巡るために同じ合宿の前半を何度も見る手間を嫌う声もあった。どちらも分かる。わし自身、再プレイで4月1日の朝を何度迎えたか数えるのをやめた。それでも、繰り返しの手間そのものが、誠の感じる倦怠と重なっておる、と言えなくもない。
題名の話もしておこう。七日目には届かぬ、と読める「Never7」。本筋の結末で誠たちが迎える4月7日の朝は、だからこそ重い。この一本から、KIDのinfinityシリーズが始まる。書き手の打越鋼太郎は、のちに別の会社でZero Escapeの999などを手がけ、謎を組み立てる書き手として名を上げていく。その出発点の一つがこの島じゃった、と思うと、25年ぶりの再訪にも意味があった。2025年には英語版を含むリマスターも出て、初めて海の外へ渡った。島の6日間は、まだ人の手を離れておらん。
答えは渡されぬ。ただ、信じるかと問われる。2000年の島で投げられたその問いは、25年経ってもわしの手の中にある。
— マルチナ
7.3——荒削りの第一歩。だが、問いは古びておらん
7.3。わしの物差しで言えば、今の目で見ると甘い所があるが、当時の文脈では確かに意義があった一本じゃ。
講義は長く、合宿の前半は何度もなぞらされ、くるみの空白の3年間も崖の下の誠も、答えを置かれぬまま終わる。そこを差し引いた。それでも、1周目の4月6日に名指しされぬ「彼女」を失わせる仕掛け、説を与えながら説の正しさを渡さぬ書き方、信じるという一語で娘たちの道をつないだ筋。これらは今も機能しておる。シリーズのほかの作品を語る前に、まずこの島へ渡るがよい。七日目の朝が、どれほど遠いかが分かる。
