島の小さな謎に、心理学の古い問いが埋まっていた。
心理学科のゼミ合宿で離島へ行く大学生が、これから起こることを言い当ててしまう。設定の入口は軽いけれど、その奥には精神医学と物理学と語源学にまたがる仕掛けがあって、調べるほど面白くなった。持ち込まれる知識の量は多くない。そのかわり、少ない素材の組み合わせ方に独自の筋がある。島の外の世界が薄いこと、物語の中心にある謎のいくつかが最後まで置かれたままになることを差し引いて、7.0だよ。
スコア詳細
心理学科のゼミ合宿、という一行に釣られた
主人公が文学部心理学科の学生で、物語はゼミ合宿。それだけで、ぼくはこの作品を手に取る理由になった。
KIDの『Never7 -the end of infinity-』。infinityシリーズの最初の作品で、2000年のPlayStation『infinity』を前身に、同じ年のドリームキャスト版で今の題名になった。ぼくが遊んだのは2001年のWindows版で、優夏の視点から物語をなぞり直す追加シナリオ「優夏キュア」も入っている。
大学3年の石原誠は、授業にほとんど出ないまま心理学科のゼミの川島班に振り分けられ、7泊8日の合宿で絶海の孤島へ連れて来られる。班長の川島優夏、無口な樋口遙、財閥の御曹司の飯田億彦。カフェ「ルナビーチ」で働く守野いづみと妹のくるみ。別荘に来ている朝倉沙紀。4月1日の朝から、誠は夕飯の献立や地震を次々に言い当ててしまう。
心理学を看板に掲げた作品は、たいてい専門用語の名前だけ借りて終わる。だから半分は疑っていた。以下、結末まで含めて、何を下敷きにしているのかを見ていきたい。
キュレイシンドロームは実在しない。だから面白い
この作品の謎の中心にあるのは、キュレイシンドロームという病名だ。そしてこれは、現実の精神医学には存在しない造語なんだよ。
2周目、いづみが自分は誠の大学の教授だと明かして講義を始める。アメリカの精神科医マイケル・キャビンが名づけた、パラノイアの特殊な類型。第1の特徴は、まわりの人がついた嘘を本人が疑いもなく信じ込むこと。第2の特徴は、最初に嘘をついた人もそれを嘘だと思っていないこと。ここまでは、実在の概念にかなり近い。精神医学には感応精神病、フランス語でフォリ・ア・ドゥ(二人狂い)と呼ばれてきた現象がある。妄想が身近な人に移り、二人で同じ妄想を共有してしまうものだ。調べてみると19世紀のフランスの精神医学で名前が付いたらしい。作中の第1、第2の特徴は、この共有される妄想を土台にしていると見ていい。
名前の語源面白いのはここで、いづみは名前の由来をこう説明する。「キュレイのスペルは『C・…』、キュアのフランス語読みなのよ」。第1症例の少年トム・フェイブリンは、溺れた妹を助けた体験から、自分に触れた者は死なないという妄想を持ち、その行為を「キュア」と呼んでいた。いづみの言葉では「少年自身は、この『不死を伝染させる行為』のことを『キュア』と呼んでいたの……つまり『いやし』とか『救済』とか、そういう意味」。そして作中では、フランス語の聖職者・司祭の意味も込められている、と語られる。
これ、語源をたどると筋が通っているんだよ。英語の cure も、フランス語の curé(主任司祭)も、もとはラテン語の cura、つまり世話や配慮という語から来ている。司祭は信徒の魂の世話をする人で、だから curé と呼ばれる。治すこと、救うこと、魂を預かること。その三つが一語に重なっている。不死を伝染させて人を救うと信じた少年の妄想に付ける名前として、これ以上ないくらい的確だと思う。作者がどこまで語源を意識していたかは分からない。ただ、少なくとも雰囲気で付けた横文字ではない。
反証という言葉もう一つ感心したのが、いづみの実験の目的だ。いづみは、合宿で億彦に誠をだまさせる計画を立てていたけれど、実験そのものは一度も行っていなかった。そもそもの狙いは、第3の特徴を否定する反証にあった、と語られる。ここで証明ではなく反証という言葉を選んでいるのがいい。科学哲学でいう反証可能性、つまり、ある説が科学的であるためには誤りだと示される可能性を持っていなければならない、というポパーの考え方がある。いづみは心理学者として、自分の説を確かめるのではなく、否定しにかかっている。学者の身振りとしてちゃんとしている。
シュレディンガーの猫の読み替えと、それを支える保険
第3の特徴は、ここから一気に現実の科学を離れる。そこをどう処理しているかで、ぼくは整合性の点を決めた。
「妄想が、真実になること。強固な思念が、新たな現実を生み出すこと。それが、第3の特徴だったのよ……」。いづみの説はこうだ。1周目の4月6日にいづみが死ぬのを見た誠の、過去に戻りたいという強い思いが現実を歪めた。いづみの言葉では「私達の脳は、4月6日のあの時間に、とどまったまま」で、予知が当たるのは記憶ではなく、めくる瞬間にカードの数字を決めていたからだ、と。その理屈を支えるために持ち出されるのがシュレディンガーの猫で、いづみはこれを「観察者の意思が、過去の事実を決める」とまとめる。
ここは物理として見ると、かなり大胆な読み替えなんだよ。シュレディンガーが1935年にあの思考実験を出したのは、量子力学の重ね合わせを箱の中の猫という日常の大きさまで持ち込むと奇妙なことになる、と示すためだった。観測が結果を決めるという話ではあっても、観察者の意思が結果を選ぶという話ではない。過去の事実が後から決まる、という方向に寄せるなら、むしろホイーラーの遅延選択の思考実験のほうが近い。いづみの説明は、物理の教科書どおりではない。
それでも整合性を7にした理由ただ、この作品はそこに保険を掛けている。いづみの説は、最後までいづみの説のままなんだ。いづみは、自分の世界ではキュレイシンドロームに冒されているのは誠ではなく自分のほうかもしれない、とまで言う。そして同じいづみの物語の4月7日の朝には、誠が見た異変、つまりくるみの背中の傷が消えた、神社が消えた、鈴やトランプが消えた、という出来事が、試着していた遙の背中だった、隣にあった双子の神社の跡だった、と現実の側からひとつずつ説明されてしまう。床のトランプが白紙だったことだけが残る。物理の読み替えを断定させず、説として宙に置いた。これなら、科学の言葉を借りた嘘ではなく、登場人物の解釈として成り立つ。整合性を大きく崩さずに済んでいるのは、この保険のおかげだと思う。
別の系統まで用意してあるのも面白い。いづみのもう一つの道では、崖から落ちたいづみは気絶していただけで、今日は4月7日、億彦が日付を偽ってもう一度4月1日のふりをさせていた、というドッキリの話になる。同じ出来事に、病の理論と人間のいたずらという二通りの説明を並べてみせる。心理学の教科書の、同じ現象に複数の解釈を立てて比べる手つきに近い。
クローンと血液型、星の砂とレグルス
設定の細部で、ぼくが一番感心したのはクローンの扱いだった。遙はくるみのクローンで、そこに生物学の筋がちゃんと一本通っている。
くるみは21年前、生後1ヶ月で誘拐された。父の守野茂蔵は遺伝子工学の世界的権威で、くるみがいない間にクローンを作った。それが19年前に生まれた遙だ。作中の世界では、9年前からクローン受精が法律で認められていると序盤で語られる。つまり遙が生まれたのは、それが許される10年も前になる。茂蔵が秘密裏に動き、くるみが3年後に見つかったとき遙を助手夫婦の養子に出した、という流れは、この年表と矛盾しない。ちなみに現実の日本では、ちょうどこの作品が出た2000年に、ヒトのクローン個体を作ることを禁じる法律ができている。作中の世界は、現実とは逆の側に分かれた歴史なんだよ。これは知っていると少しぞっとする。
遙の物語で、遙は誠をかばって車にはねられ、輸血にB型の血が要る。誠は、くるみもB型だと気づいて、くるみを自転車の荷台に乗せて診療所へ運ぶ。クローンは元の個体と同じ遺伝情報を持つから、ABO式の血液型も同じになる。クローンという設定が、命を救う手段として理屈どおりに働く。こういう使い方は、設定を飾りで終わらせない書き手でないとできない。
星の砂くるみ、遙、いづみが1粒ずつ拾った3粒の星の砂を、いづみは小瓶に入れて誠に渡す。三姉妹の象徴だね。調べてみると、現実の星の砂は砂ではなく、有孔虫という小さな生き物の殻なんだよ。沖縄の浜で土産になっているあれだ。生き物が遺した殻が、血のつながりを問う三人の象徴になっている。作者が意図したかは分からないけれど、知っていると見え方が少し変わる。
レグルスと海月いづみは星空の下で「しし座のレグルスは、今から84年も前の光……」と言う。今見えている光は過去のものだ、という性質が、過去にとどまり続ける話と重なる。距離の数字は資料によって幅があって、今よく引かれる値はもう少し近い。作中の84年は、少し前の資料の値なのかもしれない。それから、いづみが父から聞いた童話。「まんまるお月様は、ひとりぼっちで淋しくて……涙の中に子供を生みました」「海の月と書いて、くらげ……」。海月という字の成り立ちをそのまま童話にして、水と父のぬくもりの記憶に結びつけている。漢字の遊びとしてきれいだ。
司紀杜神社の名前も気になった。いづみは、この名前の語呂から「死鬼の神」という怖い伝説を作って、皆を神社から遠ざけていた。紀という字には年や時代という意味がある。時を司る、と読みたくなるのは、ぼくの深読みかもしれない。ただ、神社が隣にもう一つあって、その名がトキツカサだと分かったときは、思わず声が出た。
ちょっと残念なのは、島の外と、空白の3年間
世界の奥行きに6、エンディングの満足度に6を置いた理由を言っておく。
まず、知識の持ち込みが島の中で完結していること。精神医学、物理、遺伝子工学と、柱は立っている。けれど、その外側に敷かれた周辺の知識は少ない。主人公が直接触れない部分にまで調べた跡が敷いてある、という感触は、この作品では薄い。誠の大学も、島の暮らしも、ほとんど書かれない。調べれば調べるほど厚くなる作品、というところまではいかない。素材は少ないけれど、その少ない素材の組み合わせ方が新しい。独自性に8、奥行きに6という差はそこから来ている。
次に、くるみの空白の3年間。誘拐から7日後、倒壊した神社の下敷きで誘拐犯が見つかり、その3年後、再建された神社で、少しも成長していないくるみが見つかる。DNA鑑定は「99.99999%」。いづみは、父が鑑定に圧力をかけた可能性を疑う。誠は、くるみが体ごと3年後へタイムスリップしたのだと推理するけれど、いづみは意識だけの自分たちとは違うと疑問を示す。この謎だけは、どの物語でも決着しない。くるみの物語の結末でさえ、血のつながりの証明もいづみとの和解も描かれず、潰れた神社に二人で参って明るく終わる。いづみの説と同じように、答えを宙に置く作品の態度としては一貫している。けれど、遺伝子工学という一番硬い柱に支えられた謎だからこそ、ぼくはもう一歩の説明がほしかった。
崖の下で目を覚ます別の結末もそうだ。いづみは生きていて、誠は血を流しながら救急車のサイレンを聞く。誠の生死は書かれない。そのいづみは星の砂を知らないのに、誠のポケットには3粒の星の入った小瓶がある。余韻としては美しい。ただ、説明を与えない結末が重なると、エンディングの満足度は上げにくい。
7.0——少ない素材で、古い問いに届いた
この作品がぼくに残したのは、「真実かどうかよりも、信じられるかどうかのほうが大切」といういづみの言葉だった。
反証を目的にした学者が、最後に理屈より目の前のぬくもりを選ぶ。科学の言葉で組み立てた説を、自分で宙に浮かせる。これは、科学がどこまで現実を語れるかという、かなり古い問いにつながっているんだよ。感応精神病を下敷きにした造語の病、cure と curé の語源、クローンと血液型の筋、海月と星の砂。持ち込まれた知識は多くないけれど、どれも雰囲気で借りたものではなかった。プレイして、星の砂が生き物の殻だと改めて知ったし、日本のクローン規制の年を調べ直した。ぼくにとっては、それで十分にやった意味があった。島の外の薄さと、置かれたままの空白の3年間を差し引いて、7.0だ。
