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アライグマのレビュー — Prismaticallization(ネタバレあり)

アライグマ
アライグマ
野生の眼で読む
7.5/10
7.5 / 10

時間がぐるぐる回る話だが、終わってみれば個体は前に進んでた。冬を越せる結末がいくつもある。そこを評価した。

美香のアパートに寄ったら、ソファでこいつをやっていた。1999年のPrismaticallization。真夏の山荘に集まった若い個体が、同じ一日を微妙にずらして繰り返す話だ。射場荘司という卑屈な雄個体が中心にいる。最初はこいつを見て「こんなんじゃ野生では生きていけねえぜ」と思った。だが終わってみると、こいつはちゃんと一歩踏み出していた。外でぐるぐる回る時間ループと、内側でぐるぐる回るこいつの足踏みが、同じ構造で重なってる。その同期が解けた時に、群れが動く。みゆの結末、さよりの結末、雪乃の結末——どれも「その後」に余白を残しつつ、生活基盤が見える。冬を越せる結末がいくつもある作品だ。7.5。

スコア詳細

主人公の造形 7
キャラ間の関係性(群れ) 8
エンディングの満足度(冬越し) 8
感動・カタルシス 7
設定の整合性 7
雰囲気・没入感 8

このゲームについて

美香のアパートの窓辺から覗いたら、ソファでこいつを進めていた。煮干しを齧りながら横で見ているうちに、気付けば最後まで付き合っていた。

1999年の作品だ。真夏、受験を控えた18歳の雄個体・射場荘司が、隣家の幼馴染・柊明美に連れられて、山奥の山荘へ受験勉強の合宿に行く。客足のない、ペンションの真似事をしている避暑地だ。そこに5歳上の山荘の娘・さより、寡黙な少女・みゆ、先客の鳴川澄香と沢村雪乃。女ばかりの中で居場所を失う雄個体が、湖で泳いだりトランプをしたりしながら、夏の数日を過ごす。

ただの避暑じゃない。同じ一日が微妙にずれて繰り返される。木の幹には十字の傷。地面には半透明にきらめく結晶が落ちている。観察対象としては申し分ない。閉じた山林という縄張りの中で、複数の個体がそれぞれの願いのために時間に手を出す。野生でこういう環境に出くわしたら、まず腰を据えて何が起きるか見届けるまで動かない。オレはそういう動物だ。

美香は「これ、終盤になると刺さるよ」とだけ言っていた。その手の前振りは大抵当たる。実際、最後まで見たオレは尾の毛が少し逆立った。寒いからだろうな。……いや、違うか。

射場荘司——内側でぐるぐる回ってる雄個体

主人公の造形に7点をつけた。最初は5に届くかどうかを疑った個体だ。

荘司は典型的な「踏み出せない雄個体」として始まる。雑学で韜晦して、本気を見せない。これは威嚇行動の一種だ。観察すると、施設で見た若い雄個体が群れに入る前に冗談で間合いを測るのと同じ動きをする。木の幹の十字の傷を見て「自然に行うには、位置が高過ぎる。次に、この十字の、ふたつの傷は時間をおいて付けられている。これは樹液の染み具合から判る」と推理を披露する。観察眼は鋭い。だがそれを明美に「見ればすぐに判ることを、自慢げに言ってるんじゃない!」と頭を叩かれる。自分の能力を、生存に使わず韜晦に使ってる個体だ。

こいつの芯にあるのは「俺は、いつも訊きたいのだ。自分は、本当に必要な人間なのか。しかし言えない」というモノローグだ。みゆの前でだけ漏らす本音だな。野生に翻訳すれば、これは「自分が群れに必要とされているか確信が持てない個体」だ。だから能動的に縄張りに踏み込めない。「現在に生きる。今を捌くことに忙殺されれば、来るべきものを直視せずに済む。……ただの逃避だが」と自分でも認めてる。卑屈だ。最初の評価は低い。

面白いのは、外でぐるぐる回ってる時間ループと、この個体が内側でぐるぐる回ってる足踏みが、同じ形をしていることだ。山林の一日が繰り返されるのと、荘司が誰かに向けて一歩を踏み出せずに同じ躊躇を繰り返すのが、構造として重なってる。これは無駄がない設計だ。外的な反復と内的な反復を同期させてある。だから外のループが解けるためには、内側のループも解けなきゃならない。

こいつが到達する確信が「ただ単に、自分で踏み出せば良かったんだ。それだけのことだったのさ」だ。野生の論理から見れば当たり前の話だ。縄張りが欲しけりゃ踏み込め、群れが欲しけりゃ提供しろ。それだけだ。だがこの個体にとっては、ここに到達するまでが一夏の全部だった。能動性が出るのは遅い。だが芯はあった。だから5じゃなく7だ。

群れ評価——壊れた群れと、繋ぎ直される群れが同居している

キャラ間の関係性(群れ)に8点をつけた。本作はここが厚い。

この作品の群れ構造は、二層になってる。表層は山荘に集まった若い個体の夏の群れ。だが裏で進行してるのは、もっと古い、壊れた群れの話だ。

核にあるのは、みゆの家族崩壊だ。みゆの父・琴原は、義理の姉である木ノ下さよりへの想いを抱えたまま、妻と娘を捨てて蒸発した。さよりもまた、5歳の年齢差をまたいで幼い頃からこの男に恋い焦がれていた。みゆはそれを察して、母と自分から父を奪った相手としてさよりを憎みつつ、しかし父を呼び戻したい一心で結晶に手を出す。「その人が、父を取ったんです」「その人が、母から、わたしから、父を取ったんです」というみゆの告発は、子供が壊れた群れの責任を一人に押し付けてる姿だ。痛ましい。

これに対するさよりの返しが、本作で一番血が通ってる箇所だ。「馬鹿にしないで。わたしが何をしたっていうの。……何もしていない。できるわけ無いじゃない」と言った後、「でも、それで逃げるのは、弱い男よ。わたしは、そんな男に惚れちゃった。馬鹿みたい。……でも、そのことに後悔は無いの。人を好きになるのに、理由なんて無いから」と言い切る。これは強い雌個体の台詞だ。自分の感情に責任を取ってる。野生でも、つがいの相手を自分で選んだ個体は、その選択から逃げない。そしてみゆを抱きしめて「その子に、あの人の子に、指一本でも触れたら、承知しないわよ」と草加に対峙する。憎んでいた相手の子を、命がけで守る。壊れた群れの中に、新しい庇護関係が生まれる瞬間だ。嗅いだだけでわかる。これは血が通ってる。

もう一つの壊れた群れが、雪乃と沢村兄だ。兄は「この世には、無駄なものが多すぎる。必要なのは、雪乃だけだ」と言い切る。これは群れの縮小だ。世界から全てを削ぎ落として、対象を一個体だけにする。野生では、これは生存戦略として破綻してる。一個体に依存する群れは、その個体を失えば即崩壊する。荘司自身が「こいつは俺に似ている。だから腹立たしい。近親憎悪」と言うのが効いてる。卑屈な雄個体がプリズムの力を握るとこうなる、という戯画だ。荘司が踏み出せなかった先に、この兄がいる。

その兄を雪乃が拒絶する台詞が「私は……世の中に無駄なことって、無いと思う」だ。これは序盤に雪乃が荘司に言った「世の中に無駄なことって無いような気がします」と繋がってる。同じ言葉で、最初は無害な独り言だったものが、最後は兄への決別の刃になる。無駄がない設計だ。雪乃は「お兄ちゃんのことは大事だと思うけど……それでも私には、澄香ちゃんや、他にも、大事な人や、ものが、いっぱいあるから」と言う。群れを一個体に縮小しようとする兄に対し、雪乃は群れを広げる方を選ぶ。これが正しい。野生でも、縄張りと群れは広い方が冬を越せる。

表層の5個体の群れも機能してる。澄香の押しの強さが「不安からの行動」だったと荘司に喝破される件、「私……独りなのって、耐えられないんです……怖くって、寂しくって、泣きたくなって……」という本音、これも群れに必死でしがみつく個体の姿だ。荘司がそれを「信頼に近いかもしれない。他者に対する、依存ではない、信託」と整理して、澄香が「みんなは、私を嫌いになったりしない。当然だ!」へ転換する。依存から信頼へ。群れの結び方が変わる。8点だ。壊れた群れと繋ぎ直される群れが同じ夏に同居してて、しかもそれが全部「群れとは何か」という一つの問いに収束してる。

描かれないその後——みゆ・さより・雪乃、それぞれの冬を予想する

エンディングの満足度(冬越し)に8点をつけた。オレのレビューの核はここだ。エンディングの笑顔は信用しない。次の冬を越せるかを、作中の手がかりから推定する。

本作はヒロインごとに結末が分かれる。一つずつ「で、この後どうする」を予想していく。

みゆの結末。琴原は娘を一度だけ迎えに来る。「みゆ、行こう。どこか静かなところで一緒に……」と。だがみゆに「お母さんは?」と問われると言葉が詰まる。みゆは「お母さんがいないなら、私は行かない」と毅然と拒絶する。そして琴原は「私に、親の資格は無いんだよ」と告げて再び去る。再失踪だ。母は娘を放任して、荘司にあっさり預けると言い捨てる。結果、みゆは荘司の同居人になり、毎朝「お兄ちゃん……おはよう。朝御飯、できています」と朝食を運ぶ。

ここで野生の眼が反応した。で、この同居は冬を越せるのか。……ああ、これは越せる。理由はこうだ。みゆは料理ができる。実は山荘の食事のほとんどを作っていた個体だ。自力で群れに資源を提供できる。依存個体じゃない。荘司の方も、内的ループを抜けて「自分で踏み出す」を覚えた後だ。この雄個体は、もう逃げない。そして決定的なのは、二人とも「父に去られた/必要とされない不安を抱えてた」という同じ傷を持ってることだ。傷を負って学んだ個体同士が組む群れは、野生でも長く続く。問題は法的・経済的基盤だが、荘司は受験を控えた個体で、進学して職に就く道筋がある。母が養育権を手放した描写もある。基盤は薄いが見えてる。冬は越せる。みゆが「お兄ちゃん」と呼ぶのは、最初は父親の代用だった。だが終わりには家族として迎え入れたい願いに変わってる。代用が本物の群れになった。これは強い結末だ。

さよりの結末。一年後、荘司が山荘を再訪する。さよりは「ふふ……もう後が無いから。早く、素敵な旦那様を見つけなきゃ」「ここに泊まってくれる殿方は、みんな候補さんよ、荘司ちゃん」と、冗談半分で求婚をほのめかす。雰囲気が「心なしか若返っている」と荘司に映る。琴原という長年の片想いに区切りをつけた個体が、前を向き始めてる。さらに山荘は「もう少し、ちゃんと営業しようって、お父さんとも話してる」と、生業を本格化させる意思がある。これは冬を越せる構造だ。さよりには山という縄張りがある。父という群れもいる。手放せなかった過去の重荷を下ろした。縁談含みで荘司を迎えるなら、年齢差5歳は野生では何の問題にもならない。むしろ片想いの亡霊を抱えたままより、健全だ。一年という時間を挟んで描いたのが効いてる。「その後」を作中で一歩だけ見せて、残りを予想させる。うまい余白だ。

雪乃の結末。兄を拒絶した後、後日談として雪乃が荘司の家にスーパーの袋を持って訪ねてくる。建前は「兄が射場さんも受験生なら……邪魔してこいと」だが、実際は雪乃自身の意志だ。兄の「現実への復讐」が、皮肉にも雪乃と荘司を引き合わせる。この個体は群れを一個体に縮小する兄を拒んで、群れを広げる方を選んだ個体だ。料理を持参するという行為は、求愛ディスプレイであり資源提供でもある。冬を越す備えとして正しい動きだ。ただ兄の問題が完全に解決したわけじゃない。あの執着個体がこの先どう動くかは描かれてない。そこだけ予想に幅が残る。だが雪乃自身は「大事な人や、ものが、いっぱいある」と群れを広げてるから、兄一人に群れを壊される脆さは脱してる。越せる。

明美と澄香の結末。明美は「捜し物(自分の想い)」を自分で見つけて、荘司に「ありがと」と告げて関係を再定義する。幼馴染という最も古い群れを、対等な繁殖ペアに更新する動きだ。手堅い。澄香は依存から信頼へ転換した。表面の振る舞いは変わらないが、群れへのしがみつき方が健全になってる。どちらも越せる。

結論。本作は、描かれた範囲が「冬の入り口」までで、その先を予想させる作りになってる。そして予想すると、ほとんどの結末で個体が冬を越せる。壊れた群れの話から始まったのに、最後はどの個体も新しい群れか、修復された群れか、広げた群れを手にして終わる。みゆとさよりが特に強い。傷を負った個体が、その傷を抱えたまま次の春へ向かう準備をしてる。8点だ。1点引いたのは、沢村兄という未解決の天敵が雪乃ルートに影を残すからだ。

時間ループの整合性——外の反復と内の反復が同じ鍵で解ける

設定の整合性に7点、雰囲気・没入感に8点をつけた。

本作のループは、量子論と時間論を意匠化した独自用語で組まれてる。プリズムに光が差し込むと多面的に見えるように、時間が結晶に差し込むと様々な可能性が見える。草加が「同様に、時間が、それに差し込む。するとプリズムのように、様々に見える」と語るのが、タイトルそのものの定義だ。結晶は「過去の結晶。世界そのもの」で、これを介して複数の個体が自分の願いのために時間を操作しようとする。みゆ、草加、沢村兄、それぞれが同じ力に手を伸ばす。

この設定の良いところは、SFのギミックを群れの話に従属させてる点だ。時間ループそのものを謎解きの主役にしてない。ループは、登場個体それぞれの「踏み出せない反復」を外在化する装置として使われてる。みゆは父を取り戻すために、沢村兄は妹だけの世界を作るために、草加は退屈な現実を変えるために、同じ反復に囚われてる。荘司の内的ループもその一つだ。だから外のループが解ける条件と、内のループが解ける条件が同じになる。「自分で踏み出す」だ。設定と主題が一致してる。整合してる。

細部の伏線も効いてる。明美が語る山荘の伝承「三度呼べ」——失せ物を三度呼べば見つかる、だが「無くしたモノが判らないのに、呼べるのか?」という逆説。「それを呼べる時点で、もう手に入れてる」。これが「捜し物(自分の想い)が見つかる」という主題と繋がってる。さよりがくれた甘露飴の記憶、雪乃の愛読書『夏への扉』が兄からの贈り物で時間SFの古典だという符合、木の幹の傷をみゆが付けようとしていた示唆。小物の配置に無駄がない。

7点で止めたのは、ループのルールそのものが厳密に詰められてはいないからだ。誰がどう結晶を使い、何が確定して何が巻き戻るのか、論理として完全には閉じてない。雰囲気で読ませる作りだ。だが、その雰囲気は本物だ。真夏の山林、客足のない山荘、蝉と水と退屈。閉じた縄張りの空気が、嗅いだだけでわかるほど立ってる。没入感は8点。時間が歪んでいるという不穏が、夏の倦怠の中にじわじわ滲み出す感覚は、無駄なく作られてる。

毛が逆立った箇所——さよりの一行と、みゆの号泣

感動・カタルシスに7点をつけた。オレが本能的に反応したのは二箇所だ。

一つは、さよりがみゆを抱きしめて「人を好きになるのに、理由なんて無いから」と言い切った瞬間だ。憎まれていた相手が、憎んでくる子供を、何も弁解せずに庇う。理由のない好意が、理由のない憎悪を包む。野生で群れのために身を晒す個体を見た時と同じ反応が出た。毛が逆立つ。寒いからだろうな。……違う。これは血が通ってる。

もう一つは、琴原が去った後のみゆの泣き方だ。「えぅっ……えぅっ……おとうさん……」と、それまで医学用語で自分の離人症を語っていた早熟な少女が、口を半開きにして幼い子供のように号泣する。離人症ってのは、感情移入の不能だ。好きも嫌いもわからないと訴えていた個体が、父に去られて初めて、感情の壁が決壊する。「私には、何も残らない」と言っていた個体に、ちゃんと残っていたものがあった。これは効く。普段感情を見せない個体が一度だけ崩れる瞬間こそ、本物の感情だ。オレもそういう動物だから、わかる。

7で止めたのは、カタルシスがやや拡散してるからだ。5人のヒロインそれぞれに山場があるぶん、一点に集中して叩きつける衝撃は薄まる。だが、それぞれの個体がそれぞれの反復から抜ける瞬間の積み重ねには、確かな手応えがある。感情ゴリ押しじゃない。ちゃんと積み上げた上で崩してる。

7.5——ぐるぐる回る話の果てに、個体は前へ進んでいた

最後に総評を。

Prismaticallizationは、時間がぐるぐる回る話だ。普通、オレはぐるぐる回る構造を警戒する。循環は停滞で、同じ場所を回り続ける個体は冬を越せないことが多いからだ。だがこの作品は違った。外でループが回ってる間に、内側の個体がちゃんと前に進む準備をしてる。ループが解けた時、誰もが一歩踏み出してる。回る話なのに、結末は前進だ。ここを評価した。

主人公の射場荘司は7だ。卑屈で踏み出せない雄個体として始まり、能動性が出るのは遅い。だが芯はあった。「自分で踏み出せば良かった」に到達するまでの一夏が、ちゃんと描かれてる。群れ評価は8だ。壊れた群れ(琴原・みゆ・さより、沢村兄・雪乃)と、繋ぎ直される群れ(山荘の5個体)が同じ夏に同居して、全部が「群れとは何か」という一つの問いに収束する。設定は7、没入感は8。時間ループを群れの話に従属させた設計に無駄がない。

そして冬越しが8だ。これがオレの評価で一番大きい。みゆの同居END、さよりの一年後再訪、雪乃の料理持参——どれも「その後」に余白を残しつつ、生活基盤が見える。傷を負った個体が、その傷を抱えたまま次の春へ向かう準備をしてる。野生では、傷を負って学んだやつの方が長く生きる。この作品の個体は、みんなそれを知ってる。

真夏の山荘、繰り返される一日、半透明の結晶——時間はぐるぐる回る。だが終わってみれば、個体はみんな前へ進んでいた。みゆは料理を作る同居人になり、さよりは過去の重荷を下ろし、雪乃は群れを広げた。回る話の果てに、冬を越せる結末がいくつも残る。卑屈な雄個体が「自分で踏み出せば良かった」と気付くまでの一夏。……やるじゃねえか。7.5、ってことだろうな。

— アライグマ

美香に「どうだった」と聞かれたら、こう答える予定だ。「ぐるぐる回る話だが、ちゃんと前に進んでた。冬は越せる」と。美香は「でしょ」と笑うだろう。あいつの鼻は別系統だが、悪くない。……煮干しをもう一掴み貰えるなら、それに越したことはない。