この個体は冬を越せるか。それだけを問い続けた。
加奈という個体は弱い体に強い芯を持っている。隆道という個体はまだ若く、縄張りが定まっていないが、逃げない選択をした。そして6通りある結末のうち、2通りで加奈は臓器を提供して別の命をつないだ。野生に存在しない行為だ。不自然だが、人間にしかできない強みとして認める。
スコア詳細
加奈という個体について(ネタバレあり)
加奈という個体には二重の秘密がある。ひとつは病気。慢性糸球体腎炎が遺伝子異常型の予後不良へと進行し、医師から「あと半年」と宣告される。もうひとつは血縁。加奈は隆道の実の妹ではない。父の友人——病弱で妻に先立たれた男——の一人娘を、藤堂家が引き取ったのだ。二人ともその事実を長らく知らなかった。
オレが観察してきた野生の個体に、秘密を抱えながら群れの中で生きるものは多い。弱い個体ほど自分の弱さを隠す。加奈の場合は逆だった。哲学書をめくり、聖書の一節を引用し、「生きたい」と繰り返した。自分の弱さを隠さず、むしろそれを素材にして言葉を磨き続けた。ホスピスで須摩子叔母と過ごした時間が効いている——死に向き合った大人の側にいたことで、加奈は他の十六歳よりずっと早く死の現実に向き合う準備ができていた。
「今日、海を見た。もう恐くない。」という日記の一節が終盤に出てくる。何が怖くなくなったのか。プレイヤーの読み方で変わるが、オレの読みでは「この個体は自分が冬を越せないことを受け入れた」だ。受け入れた個体は、次の問いに移る——自分が消えた後に何が残るか、と。
隆道という個体と、血縁告白の意味
腎移植のドナーを志願した隆道に、両親は初めて「加奈とおまえは血縁ではない」と告白する。マッチング確率の問題として出てきたこの事実は、同時に二人の兄妹関係そのものを問い直すものだ。隆道が抱いてきた「妹を守る」という義務感が、義務ではなく選択だったと露わになる瞬間でもある。
血縁がないとわかってもなお隆道は鹿島先生にドナー検査を頼み込んだ。野生で言えば、群れの血縁でない個体のために自分の体を差し出す行動だ。これは滅多にない。本能ではなく意思の領域に踏み込んでいる。そこに隆道という個体の一点の評価がある。若くて感情的で生存戦略として非効率な場面も多かったが、血縁の嘘が明かされた後でも逃げなかった事実は重い。
6通りのエンディングを野生の眼で読む
この作品は6つの結末を持っている。オレは全部読んだ。「冬を越せるか」という軸で並べると以下のようになる。
ED1「はじまりのさよなら」——移植成功。加奈は生きる。兄妹を超えた関係になり、やがて加奈は自立して家を出る。野生の論理では最もわかりやすい冬越しだ。個体が生存し、巣穴から自力で出て行った。
ED2「追憶」——移植失敗、加奈は死ぬ。隆道が一年間の喪を経て、墓前でペンダントに録音された加奈の声を聴いて再起する。個体の死後に残された録音が、残された側の冬越しを助ける。死んだ個体が群れに何かを残せた、という構造だ。
ED3「迷路から」——加奈が死んで、隆道が現実否認の錯乱状態に陥る。夕美が加奈のかつらをかぶって隆道を正気に戻す。野生の論理では「群れの一員が別の一員のふりをして残った個体を安定させた」だ。形は変だが、群れとして機能した。
ED4「雪」——移植せず、家族と美樹に看取られて加奈が静かに死ぬ。約束通りに雪が降り、翌春にウメバチソウが咲く。「もしわたしが死んだら、雪を降らせてみようかな」という加奈の言葉が、事実として来る。野生の論理では最もシンプルな個体の死だが、その死の前後に加奈が意思として置いたものが世界に残る形になっている。
ED5「おもいで」、ED6「今を生きる」——この二つについては次のセクションで別に。
命の渡し方——ED5・ED6の臓器移植について
ED5とED6で、加奈は自分の死後に肝臓を提供することを選んでいた。移植先は霧原香奈——ホスピスで交流した須摩子叔母の娘で、肝不全を抱えていた同名の「かな」だ。ドナー意思カードは加奈自身が持っていたもので、確認しに来た臓器移植コーディネーター・織笠の問いに対して、遺族が同意する形で移植が実施される。加奈の日記は『命を見つめて』として刊行され、残された隆道の日々はその出版と香奈との約束で静かに続いていく。
野生にこの概念はない。アライグマが死ねば、肉は土に還るか他の生き物の腹に消えるか、それだけだ。自分の臓器を「誰かに渡す」という意思を死の前に持てるのは、人間という種だけだ。個体が生きている間に自分の死後を設計し、書面に記して残す——こんな行動を、野生の個体は取らない。死は死だ。個体が終われば、群れの記憶だけが残る。
だからこの結末はオレの経験の外側にある。「個体としての命が尽きても、臓器が別の個体の中で動き続ける」という解を、オレは不自然だと感じた。同時に、それが人間にしかできない生き方だとも思った。野生の個体は自分が生き抜くことしかできない。だが加奈は死によって香奈の命をつないだ。弱体化した一個体の存在が、全く別の命の継続に働く——こんな計算は自然の摂理には存在しない。
加奈がドナーカードを持っていたことには、ホスピスでの時間が直接関わっているはずだ。須摩子叔母と、同じ病を抱えた香奈と、死の現実を長く見てきた加奈だからこそ出てきた意思だ。香奈は「同名のかな」でもある——偶然だが、加奈の肝臓が「かな」という名前の中で生き続けるという形は、野生の論理では説明がつかない詩だ。
不自然だ。だがその不自然さを意思の力で現実に変えられるのが、人間という種の強みなのかもしれない。加奈という個体は冬を越せなかった。だが加奈の一部は、別の体の中で今も別の冬を越し続けている。オレはここだけ、野生の論理を棚上げにして評価した。
夕美という外部の個体、その役割の全容
夕美は小学校の「ラブレター事件」で隆道と長く決別し、大学で偶然再会して関係を持つ。隆道にとっては「加奈への感情」を自覚しつつ同時に抱えることになる相手で、群れの外側から関わりながら内部の温度を保つ機能を果たした。
ED3では加奈のかつらをかぶって錯乱した隆道を正気に戻す。夕美が「加奈ちゃん……もう死んだんだよ」と告げる台詞は、死を否認する隆道に現実を突きつける。野生では弱った群れの仲間を回復させるためにここまで自分を消せる個体は少ない。夕美という個体の強さだと思う。
ED6では、大学のキャンパスで『命を見つめて』を読んでいた夕美と隆道が再会する。「これ、読んだよ」「許してやってもいいかな」——長い時間を経て、外部の個体が再び群れに戻ってくる。加奈の日記が橋渡しになっている。隆道が冬を越した後の春として、ED6の再会は機能している。
この個体は冬を越せるか
全6エンドを読んで、加奈という個体の評価は変わらなかった。弱い体に強い芯を持った個体だった。冬を越せた形は様々で、生存したED1から、臓器移植という人間固有の方法で別の命をつないだED5・ED6まである。どの結末でも加奈は「消えた後に何かを残した」個体だ。
26年前の作品だ。絵柄も古い、容量も小さい。それでもオレが7.0を付けたのは、加奈という個体の匂いが古びていないからだ。「冬を越せるかどうか」という問いに、人間にしかできない答えを複数用意してきた作品だ。野生の論理では測りきれない部分が、この作品にはあった。それを認めるだけで、7.0は妥当だと思う。
