冬が来ない世界で、群れだけは律儀に冬支度をしていた。
オレはこの作品を、人類が滅ぶ前の最後の一週間を観測したフィールド記録として読んだ。普段オレが恋愛を評価する物差しは「で、こいつら冬を越せるのか」だ。だがこの作品では、来週の日曜に全員死ぬ。冬を越す相手がいない。にもかかわらず、登場する個体たちはつがいを作り、群れに集まり、屋上や医務医院という小さな縄張りを守ろうとする。その挙動が、生物としてどう見えたか。それを書いた。主人公は弱い。だが弱い個体しか残らなかった世界の話だ、と思えば腑に落ちる部分もある。
スコア詳細
滅亡まで一週間の観測区に潜り込む
国連が戦争を禁止し、日本が非常事態を宣言し、それでも世界は来週の日曜に終わる。そういう一週間の話だ。
舞台は私立緑山高校。管理職は真っ先に逃げたが閉校宣言は出ておらず、来たい教師と来たい生徒だけが集まって時間割をなぞっている。学校ゴッコだ。主人公の耕野知裕は元陸上部の三年。両親は海外で連絡が途絶え、一人暮らしの家にいても気が滅入るというだけの理由で登校している。教室には元カノの宮森香織、保健室には咥え煙草の養護教諭・大塚留希とその助手の竹岡多弘、屋上には天文部の大村いろはと稲穂歌奈、図書室には幼なじみの敷島緑、グラウンドには陸上の瑞沢千絵子と気だるい男・松原重久。
オレが興味を持ったのはここだ。資源も時間も尽きていく極限で、人間という動物がどう群れ、どうつがいを作り、どの縄張りを守るのか。終末ってのは、生態系の最後の観測機会だ。逃げ出さずに残った個体だけがいる。そいつらの動きを見れば、人間という生き物の地金が出る。オレはそれを期待して潜り込んだ。
耕野知裕という、群れから切れた個体
まず主人公だ。オレが一番厳しく見る場所だ。そして、ここが一番弱い。
耕野知裕は受け身だ。徹底して受け身だ。火曜の教室で「ま、てきとーに歩くか…」とつぶやいて、文字通り校内をてきとーに歩き回る。これが行動原理の全てだと言っていい。両親は海外で連絡が切れ、靭帯を切って陸上部からも抜けた。群れの紐帯が二重に断たれた個体だ。野生でこうなった個体は、新しい縄張りを切り拓くか、淘汰されるかのどちらかだが、知裕はどちらにも向かわず、ただ漂っている。こんなんじゃ野生では生きていけねえぜ、と最初の三日はずっと思っていた。
ただ、香織ルートの土曜で評価を少し戻した。香織が父親のコネで米軍横須賀基地のシェルターに移ると緑から知らされた瞬間、知裕は切れた靭帯の脚で町内を疾走する。「4年前にどうしても言えなかった事を言いに来たんだ」と宮森家の玄関先で叫び、「――週末さぁ…空いてる?」と公開告白する。痛めた脚で走る、というのが効いている。陸上を奪った傷を承知で全力を出した。生き残った個体の動きだ、とまでは言わないが、漂っていた個体が一度だけ本気で縄張りに踏み込んだ瞬間ではある。サングラスを少しずらした。
とはいえ、これは香織ルートだけの話だ。他のルートでは、知裕は基本的に受け取る側にいる。緑に「2日間だけ…ちひろを頂戴…」と求められ、いろはに鍵を投げ捨てられて「世界に…2人しかいないみたいでしょ」と誘われ、歌奈に「怖くてたまらないんです」と抱きつかれる。全部、向こうから来る。求愛ディスプレイを出しているのは女の側で、知裕はそれを受け止めているだけだ。群れを率いる個体の動きじゃない。だから主人公の野生力は5で止めた。世界が終わる前提だから許される受動性であって、これが平時なら淘汰される側の動きだろう。
つがいの観測——重久と千絵子、留希と多弘
主人公が弱い分、オレの関心は脇のつがいに移った。そして、こっちの方が血が通ってる。
松原重久と瑞沢千絵子のつがいが、この作品で一番面白い観測対象だった。重久はグラウンド脇の木の下でパンを食う気だるい年上の男で、千絵子は陸上特待の二年女子。年齢の離れた配偶行動だ。木曜、重久は千絵子に「お前、何から逃げてる?」「無心に走る事で…考える事から逃げてる」と核心を突いて、そのまま陸上部の部室で関係を持つ。千絵子は「自分でも驚くほど簡単に、この気安い男に身体――そして心…?――を許していた」と混乱しながら受け入れる。逃げる個体が、追ってくる個体に観念する。求愛として整合してる。
そして土曜、真相が出る。重久は三年前、千絵子が通っていた公立昭栄中学の陸上部顧問「松原先生」だった。千絵子を緑山の陸上特待に押し込んだ恩人だ。つまりこのつがいは、終末でいきなり生まれたんじゃない。三年前から、保護する側とされる側として縄張りを共有していた。千絵子が髪を切り、トレードマークの髪しばりを外して「私、あなたの事が好きだよ――/でも、走る事が止められない…」と告げる。重久は「諦めにも似た理解の笑み」で受けて、「いつもの木の下、な」と練習を見守る側に戻る。つがいを縛らない。走り続けたい個体に、走ることを許す。これは庇護行動だ。嗅いだだけでわかる、本物の方の。
もう一組、留希と多弘もいい。養護教諭の留希は、七年付き合った医師の元彼に二ヶ月前に院長娘との婚約で振られ、終末発表後にその病院から医薬品を「慰謝料代わり」にブン捕ってきた女だ。自分の縄張りを自力で確保する個体だな、とまず思った。助手の多弘は開業医の息子で、母をノイローゼ自殺で失っている。この二人が水曜に保健室で結ばれ、留希は事後に「こーゆーのを『達成感』とゆーのだなー」とジョークで照れを隠す。だが土曜、多弘は留希の「真剣に好きです」への「のった」を受けておきながら、最後は「死ぬ前に親父ときっちり対決しておこうと思って」と家族の方を選ぶ。つがいより、断たれた血の縁を結び直しに行く。留希は引き留めず「希望」という言葉だけを残す。死ぬ前に群れの一番古い傷を治しに行く個体を、留希は見送る。これも血が通ってる。
いろはの電池——生存戦略の、自発的な放棄
大村いろはの扱いだけは、オレの物差しでも普段と違う読みが要った。
いろはは洞機能不全症候群で、小六のときにペースメーカーを埋め込んでいる。二年前、携帯の電磁波で機械が動作不良を起こして一年留年した。今は電池が切れかけている。防磁タイプの新型に交換すれば生き延びられる。だが彼女はそれを拒否している。オレの普段の論理なら、これは生存戦略の放棄だ。自力で生きている自負を最も価値とするオレからすれば、生きられる手段があるのに使わない個体は、評価の外に置かれてもおかしくない。
だが、世界が来週終わる、という前提がこの判断を引っくり返す。交換しても次の日曜には全員死ぬ。生き延びる先がない。いろはが「ただ、何が生きているって事なのか判らなくなったの。何もしなければ死ぬ筈だった自分を、医学が生き長らえさせてくれた。でも…最後にヒトは死ぬの」と言うとき、彼女は冬のない世界での生存の意味を問い直している。金曜、屋上の鍵を空に投げ捨てて「世界に…2人しかいないみたいでしょ」と知裕を誘い、心臓に負担をかけると承知の上で身体を重ねる。「止まっても…それはただの結果。大事なのは…私が、誰と、何をしたのか…」。そして事後、知裕の頭を膝に抱いて「私が…君を守ってあげる」「わたしがこの世界でする――最期の約束」と告げる。守られる側だった個体が、守る側に回る。立場の逆転だ。電池を捨てた個体が、自分の残りの拍動を、丸ごと一人の相手に賭けた。整合してる。生物としては非合理だが、終末という条件下では筋が通っている。
繁殖行動として——終末下の、つがい形成の場面
この作品の繁殖行動は、どれも物語の流れに沿って自然に置かれている。唐突なものがない。
本筋の四つは全部、関係が固まる過程の終着点として配置されている。香織との場面は四年越しの自然消滅をやり直す形で、知裕が射精寸前に「理性がじゃまして」中に出さなかった選択が、後で香織の「ホントはちょっと、なかに…欲しかったんだけど…」とすれ違う。お互いを傷つけまいとして傷つけ合う、というこの二人の根の問題が、行為の最中にまで顔を出している。整合してる。緑との場面は、妹のように扱ってきた個体を初めて異性として認識する転換で、階下に母親がいるという設定が緑ルートの「家族ぐるみ」の主題と響き合う。歌奈の場面は、あの体当たり挨拶が「裸のタックル」として極まる、いわばギャグの全力昇華だ。0勝3敗の挨拶が、最後にこういう形で回収される。無駄がない。
合意の取り方も、どのつがいもちゃんとしている。普段オレが最も嫌う、日常で優しい個体が行為でいきなり別の獣に化ける手のひら返しが、一つもない。知裕は最後まで知裕のままで、相手の負担を気にし続ける。いろはの場面では「彼女の身体に負担をかけないよう工夫」して動く。これは本物の方の振る舞いだ。ただ、18禁の作品としては繁殖描写そのものの比重は軽い。寂寥感の方が前に出ていて、行為は群れの物語の通過点として置かれている。エロを目当てに来た個体には物足りないだろう。オレは別に構わない。繁殖はつがい形成の一部であって、全部じゃないからな。
描かれないその後——というか、その後が無い
で、この後どうする。オレの一番好きな問いだ。だがこの作品では、この問いが成立しない。
いつもオレは、エンディングの笑顔を信じるな、問題はその次の冬だ、と言う。無職の主人公がハッピーエンドで笑っていたら「家賃は誰が払う、半年後にこの群れは崩壊する、冬は越せねえな」と容赦なくツッコむ。それがオレの仕事だ。だがこの作品には次の冬がない。日曜に人類が滅ぶ。香織と結ばれようが、いろはと屋上で流星群を見ようが、来週の今ごろには全員いない。冬越しを評価しようがない。
最初はこれを、評価を逃げられた、と感じた。その後を描かないんじゃなくて、その後が存在しないんだから、オレの物差しが空振りする。だが観測を続けて、考えが変わった。この作品は「冬が来ないと分かっている個体が、それでも冬支度をする」話なんだ。香織は四年前に言えなかった言葉を言いに行く。多弘は死ぬ前に父親と対決しに行く。千絵子は髪を切って走り続ける。いろはは残りの拍動を一人に賭ける。どれも、明日に繋がらないと分かっていてやっている。生き残るためじゃない。生き残れないからこそ、最後にやる。野生にはない行動だ。野生の生き物は、報われない行動をしない。報われると分かっているから縄張りを守り、つがいを作る。だがこの個体たちは、報われないと知っていて全部やる。これは人間という動物にしかできない挙動だ。オレはここに、毛が逆立った。寒いからじゃない。
知裕の最後のモノローグが効いている。「2人だから、何とかなると思う」を四回繰り返した後で、「でも結局…オレはまた日常を求めて歩きつづける」と続く。日常を求めて歩く、という言葉を、明日滅ぶ世界で言う。歩いた先には何もないのに、それでも歩く方を選ぶ。「ごきげんよう、さようなら。――良い終末を」で幕。良い終末、という挨拶が、この作品の全部を要約している。冬は越せない。だが、越せない冬の過ごし方には、良し悪しがある。それを描いた。描かれないその後の代わりに、描かれない明日への態度を描いた。やるじゃねえか。
6.8——冬の来ない縄張りの、過ごし方
主人公の弱さで点は伸びない。だが群れの描き方と、終末という縄張りの空気は、嗅いだだけで本物だとわかった。
総合で6.8だ。主人公の野生力を5で止めたのが効いている。オレは主人公の動きを一番重く見る個体だから、受け身の知裕にはどうしても点を出しきれない。香織ルートの疾走で多少戻したが、それ一回だ。一方で、重久と千絵子のつがい、留希と多弘の別れ、いろはの賭けは、それぞれ独立した生態の記録として強い。終末の空気そのものも、焦燥じゃなく寂寥で押してくるのが整合してる。物々交換のパンや医務医院の看板みたいな終末経済の細部にも肉があった。短い。三時間で全部終わる。だがこの長さは、これ以上伸ばせば空気が崩れる、という意味で正しい長さだ。無駄がない。冬の来ない世界の群れを、一度観ておく価値はある。全く人間ってのは、報われないと知っていてなお歩く。そういう生き物だってことを、思い出させてくれた。
